2012年01月05日

リンガーハット期待の女性向けちゃんぽん店「リンガール東京」、半年でひっそり閉店

リンガーハットが女性向け新業態を開発、1号店の池袋サンシャインシティアルタ店を開店したのは2011年6月2日のこと。

リンガーハットの女性向け新業態ちゃんぽん店 「リンガール 東京」(リンガーハット公式・魚拓)
「リンガール 東京」は、飲食業界に女性向け麺類専門店が少ないことを受け、働く女性が1人でも気軽に入れることを目指したお店です。(略)今回の新業態では「ステキがおいしい」をコンセプトに、女性を意識したメニューや店舗デザインを導入しました。メインメニューの「ちゃんPon」と「Saraうどん」はそれぞれ麺を選ぶことができ、「ちゃんPon」は3パターンの麺を選ぶことでカロリーがコントロールできます。内外装もホワイトと木目を基調にしたナチュラルなやすらぐ空間とし、女性のお客様の居心地の良い作りになっております。将来的には100店舗の出店を目指します。
 ところが12月17日あっさり閉店。23日に「リンガーハット 池袋サンシャインシティアルタ店」として再オープンした。魚拓に保存できてよかった。この魚拓の一番下にある「リンガール東京のホームページはこちら」というリンクをクリックしても、www.rin-girl.jpにはつながらず、404 File not foundになる。公式のニュース一覧にはまだリンガール関連のニュースが残っているが、唯一の店舗がなくなり公式HPにつながらないということは、女性向けちゃんぽんプロジェクトが消滅したということだろうか?スタートは華々しくてもおしまいのリリースは出さず、しれっとすっとぼけるケースは少なくない。

サンシャインシティアルタの飲食街には、喜多方ラーメン坂内、丸亀製麺、洋麺屋五右衛門、マクドナルドあたりが入っていて、学生やサラリーマン向けの店舗編集になっている。イタトマカフェが一応女性向けか。しかしリンガールほど「女性向け」に最適化してしまうと、男性客はまず来ない。カップルの場合でも男が嫌がり一緒に入りやすい店に流れてしまう。女性だらけの非日常空間・原宿あたりならなんとかなる可能性はあったのだろうか。いずれにせよ「100店舗の出店」というのは大風呂敷にもほどがあると思う。
11年05月13日の私のツイート
リンガーハット、女性向け業態「リンガール 東京」開店 http://j.mp/my5dhz リンガール…ちゃんPon…Saraうどん……なぜ女性向け業態というのは女を小馬鹿にしたようなものばかりなのか…?
「女はこういうもの喜ぶんでしょ」というマーケティングをすると、男性が来ないのは当然だが女性にまで相手にされないという残念な話であった。ところでリンガール東京という業態自体を捨てたのかどうかは結局分からずじまいだった。気になる。潰したのか継続するのか、リリースを出してほしいのだが……
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2011年12月31日

2011年qzmp blogをふりかえる

と、ふりかえっている現在、すでに年が明けて3日である。これまでは大晦日に必ずその年のまとめを書いてきたのだが、今回は更新してないのに気づいたのが23時過ぎだったので間にあわなかった。それだけブログから離れているということだろう。この更新も含めて2011年のエントリーは21回。奇しくも2010年も21回だった。月2回弱で安定しているみたいだ。

さて、2011年といえば東日本大震災、さらには福島第一原発のメルトダウンと、一生のうちでも忘れられないことが起きたが、これについてブログの方ではあまり触れていない。ツイッターで思いつくままにつぶやいていたからだ。Webに記録を残す(Log)からWeblog、短縮してblogというわけだが、日々のよしなしごとの記録はツイッターで垂れ流しているため、こちらのブログはもう少し長いものを書く場合に使うというように用途が分かれてきた。

しかしあの頃どんなことを考えていたんだろうとふりかえろうとしても、ブログにはほとんど記録がない。ツイッターのつぶやきもTwilogという形で記録されているから特に不自由はないようなものだが、もう少しまとまった記述があってもよかったかな、と今になって思う。あの頃はブログでまとまった文章を書く気もしなかったので、ないものねだりではあるのだが。


2011年に最もアクセスが多かったエントリーは、震災発生前最後の更新である3月8日「サブウェイが世界最大の飲食店チェーンになったはいいが、日本では債務超過な件」だった。こういうあまり世間に知られていない事実を伝える文章を書くのは、楽しくないこともない。文末のリンクから過去の記事もけっこう参照された。身近なことだけに、この手の話はウケがいいようだ。

原発事故以降、西日本在住者も含め日本人ならば一生続くことは間違いない食品による内部被曝の危惧、要は「低放射線との付き合い方」は、今後の外食関連記事にも影を落とすことになるのだろう。


そういうわけで、2012年も更新ペースは非常にゆっくりながら細々と続くようです。これだけ悪いことが起きたのだから、12年は静かな、穏やかな年になればいいなと思っております。
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2011年12月20日

牛丼業界の新しい挑戦者、東京チカラめしに行ってきた

居酒屋業界の売上げのピークはバブル崩壊直後の1992年、市場規模は1兆5千億円だったといわれる。
その後不景気と飲酒人口の減少を背景に緩やかに下がり続けてきた売上げは、2002年6月の道路交通法改正で飲酒運転の罰則が強化されたことにより大幅に落ち込むことになる。ハンドルキーパー運動なるものの効き目もむなしく、クルマを使って来店することが前提の郊外型居酒屋は大きく売上げを落とした。
さらに今年の震災発生後は宴会需要が大幅に減り、計画停電に営業時間の短縮とさらに追い打ちがかかった。外食業界の中でも居酒屋は特に売上げの減少が著しい。現在、居酒屋業界の売上げは1兆円を割ったとみられる。しかしそれでもオーバーストアが解消されたわけではなく、今後10年間でさらに2千億円減り、8千億円規模に縮小するというのが大方の見方だ。

タイトルと違って牛丼の話がまるで出てこないが、必要な部分なのでもう少し待ってほしい。

ここ20年で3割以上売上げが減り、今後もさらに減るのは確実という業界で企業はどのように対応しているか。ワタミは店舗を減らして、市場の拡大が続く介護事業に乗り出した。たいへん儲かっているらしく結構なことである。この事業は政府が採用する政策により業績が大きく変わるため、今後創業者は都知事選の落選など気にせず、ますます政治に近づいていくことだろう。

他業界へ進出せず、外食業界の中で事業ドメインを変えようという企業もある。都内で急速に店舗を増やす「東京チカラめし」を展開する三光マーケティングフーズがそれだ。91年に「東方見聞録」で個室居酒屋ブームを起こし、03年に株式を公開、その後デフレ環境に対応した低価格業態「金の蔵Jr.」を展開している。今年3月1日に公開されたインタビューでは「低価格居酒屋とうどんを2本柱に」と、金の蔵Jr.と丸亀製麺のパクリ業態・楽釜製麺所を中心にしていくことを明言していたが、その後「日常食業態の拡大」を強調し6月に東京チカラめしを開店、来年6月までに100店舗達成をブチあげた。

もともと東方見聞録というヒット業態がいきなり成功したわけではなく、1975年に神田駅のガード下に定食屋「三光亭」を創業、その後牛丼とカレーの店に業態転換してから居酒屋へという沿革なので、焼き牛丼とカレーを主力とする東京チカラめしは、いわば牛丼業界への再挑戦といえる。すき家・吉野家・松屋の牛丼御三家が芸のない価格競争を繰り返す不毛地帯に割って入ろうと、価格は同程度・煮るのではなく焼き牛丼という新機軸で殴りこんできたニューカマーの登場を歓迎する人は多い。「ウチの近所にもできないか」と期待している人もいるようだ。

確認になるが、当エントリの目的はB級グルメの印象批評をしたいわけではなく、多くの公開情報のひとつとしてストアコンパリゾンを行い、当該企業の市場競争力ならびに今後の企業価値の変化についての考えを述べることである。味の善し悪しと企業としての成功は全く関係ないとは言わないが、あまり関係ない。これがチェーンストアを見続けてきた私の感想だ。なにしろ脱法ばかりしている反社会的企業ゼンショーが外食業界売上げ日本一になってしまう国だ。私の食べ物の好みなど開陳しても仕方がない。

さて、この先行者利益もなければ残存者利益もない、日本で一番激しい競争が起きている血で血を洗うレッドオーシャンに、なにが悲しくて三光マーケティングフーズは殴りこんできたのか。社長の弁によると「牛丼屋は今や日本社会のインフラ」なのだという。そうかもしれない。日本人が米を好む限り回転寿司と牛丼屋はなくならないだろう。これまでどおり肉が格安で安定的に輸入できる環境が続くという前提つきでだが。しかし居酒屋の経営経験があればファストフードが経営できるというものではない。居酒屋で許されることがファストフードでは許されない。

東京チカラめしに行ってまず感じるのは、店舗オペレーションの低劣さだ。本社は人を集めていろいろがんばっているのがよくわかるのだが、それらのことも店舗段階ですべて台無しになるという状態。煮てある肉を丼に載せるから素早く提供できるわけだが、焼くとなると時間がかかる。これがネックであることは当然認識されている。開店当初、提供に10分以上かかるケースが常態化しファストフード店として完全にオペレーションが破綻している状態だったというが、先日私が行った時には3分〜4分に短縮されていた。最終的には1分以内を目指しているという。時間帯による見込み生産の精度も上がるだろうしそれはいいのだが、いかんせん商品のクオリティが低い。松屋で金属のヘラに体重を乗せて鉄板を磨いているのを見かけるが、ああいう面倒なことをしないからか粉々になった黒いコゲが肉全体にまぶされ、脂ギトギトの状態で出てきた。看板商品がこれではお話にならないだろう。

少し時間をおいてもう一度行った。ここは松屋や吉野家同様、カレーライスも出している。350円で味噌汁付きというのはまったく松屋と同じだ。注文したところ、出てきたカレーには具が全くない。なにか肉が粉々になったような痕跡はあるが、少なくとも固形物といえるようなものは一つもない。どうもメニューを見るとココイチのように具をトッピングすることを前提にしているようだ。バランス的にルーに具がない方がいいということかもしれない。しかしこの店でカレーを食べる客が比較するのはカレー専門店ではなく松屋なわけで、そこにいきなりルーのみカレーを出されるとけっこう驚く。これに関しては本社サイドの問題かもしれないが、では店舗段階でなにが起きるか。その具なしのルーがぬるい。外食でカレーを何度食べたかなど覚えているはずもないが、カレーのルーがぬるいのはさすがに初体験だった。鍋であたためっぱなしのものをご飯にかけるのが普通なわけだから、むしろどういうやり方をすればぬるいカレーを出せるのかに興味が湧く。

ストアコンパリゾンの場合、味が好みでなくても全部食べないと量に実感が湧かないから必ず全部食べることにしているが、さすがにこれは半分で席を立った。ちょっと耐えられない。私の隣の客は、店員が皿をバッシングした後にテーブルを拭かないので「ちょっとここ拭いてください」と言っている。もはやファストフード店として秒単位の精度の高いオペレーションができているかどうかをチェックするのも虚しい。

2度とも吉祥寺公園口店での話だが、不備なマニュアルがあるのだろうから特定の店舗だけレベルが低いとは考えにくい。また、仮に特定の店舗だけの問題だったとしても、チェーンストアの最低水準すらクリアできないとなるとチェーン全体に対してそういう見方になるのは仕方がない。はっきり言って、縮小を続ける居酒屋業態の穴埋めとして来年6月までに100店舗だ、再来年には300店舗だなどと言っている場合ではないと思う。財務はしっかりしているから店は借りられるし人も集まる。金さえ払えば店舗網は広げられるし、それなりに売上げも立つだろう。しかしこんなボロボロの状態で、頭打ちの売上げや下がり続ける利益水準を埋めるために出店していたら、開店当初の物珍しさと期待はすぐになくなり、前年割れの不振チェーン店ができるだけだ。


厳しいことを書いたが、価格競争ばかりでお客もうんざりしている牛丼業界に焼き牛丼という新機軸を持ち込んだことで、新しい競争を起こしたことは評価している。同じ土俵で勝負し埋没する愚を避け、弱者の戦略を採用したのは賢明だった。しかし6月に東京チカラめしが開店した後、松屋は9月に「ネギ塩豚カルビ丼」を発売。さらに吉野家が12月に従来の煮る豚丼を廃止し「焼味豚丼 十勝仕立て」を投入。さっそく同質化競争による企業防衛をはじめている。だから呑気に構えてもいられないが、かといってデタラメなオペレーションのまま店舗を増やすのは自滅への一本道である。店舗での作業の見直し、トレーナーの確保、メニューの手直し等々多くの施策が求められるが、3強の中に割って入ることができるかどうかは今後にかかっている。

結論としては、三光マーケティングフーズの「日常食業態の拡大」路線の成否は不透明。現在株主でない人は手出しせず、既存株主には慎重にウォッチ継続を勧める。



<追記>三光マーケティングフーズに関しては自己資本比率75.0%と、ゼンショーの15.6%とは比べものにならないほど財務体質が良く、PBR1倍割れでもあり、あまり冒険的な出店をしない限り株価の下値は知れているともいえる。問題はすき家を展開するゼンショーだ。M&Aで規模を拡大し有利子負債を積み上げてきたゼンショーは、金利が上昇すれば利払いは増え、財務を充実させようと増資をすれば株式の希薄化で株価は下がるという隘路に陥っている。徹底した独裁制を敷く創業者は独裁者のご多分に漏れず身内しか信用できず、1977年生まれの息子を取締役に引き上げ、ますます北朝鮮化が進んでいる。今後予想されるゼンショーの転落については、また改めて書く機会もあろう。
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2011年10月21日

カダフィ大佐42年の独裁政権に幕

リビアで42年独裁政権を維持していたカダフィ大佐が反政府勢力によって殺害された。

リビアのカダフィ大佐が死亡、拘束時に負傷=国民評議会当局者(朝日)
[シルト(リビア) 20日 ロイター] リビア暫定統治機構の国民評議会(NTC)当局者は20日、元最高指導者のカダフィ大佐が、拘束時に受けた負傷によりシルト近郊で死亡したと明らかにした。
 NTCのAbdel Majid氏は、ロイターに対し「カダフィ支援部隊に対し激しい銃撃が加えられ、大佐は死亡した。カダフィ大佐は頭部も負傷していた」と述べた。
 同氏はこれより先、大佐の身柄が拘束されたとし、大佐はNATOの戦闘機による攻撃から逃れようとした際、両脚を負傷したと話していた。
 同氏の発言について、正式な確認は取れていない。
 NTCの兵士によると、大佐は地下に潜伏していたところを押さえられ、捉えられた際、射殺しないよう求めたという。
 NTCのMohamed Abdel氏はロイターに対し「大佐の遺体は、安全上の理由から極秘の場所に搬送中だ」と述べた。

この直前、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官がリビアを訪問している。
クリントン長官がトリポリ電撃訪問 反カダフィ派議長と会談(産経)
【カイロ=大内清】米国のクリントン国務長官は18日、リビアの首都トリポリを電撃訪問し、反カダフィ派代表組織「国民評議会」トップのアブドルジャリル議長らと会談、今後の政権移行プロセスなどについて協議した。クリントン長官のトリポリ入りは8月下旬のカダフィ政権崩壊後初めてで、米国としてはこれまでで最もハイレベルな高官の訪問。

 ロイター通信などによると、クリントン長官は地中海のマルタ経由で到着後、「評議会はリビア国民に対し、民主的な政権移行や法の支配の確立に真剣だと示す必要がある」と語った。

 米国は、内戦中にリビア国内で大量の武器が出回ったことを懸念。特に、カダフィ政権が旧ソ連などから購入した携行式地対空ミサイルが国際テロ組織アルカーイダ系武装勢力などの手に渡ることを強く警戒しており、会談では兵器管理や武器回収の支援策なども協議されたとみられる。

 一方、全土の制圧を進めている反カダフィ派部隊は17日、カダフィ派部隊が抵抗を続けていたトリポリ南方のバニワリードを制圧した。これにより、カダフィ派部隊が残存する都市は、カダフィ大佐の故郷である中部シルトのみとなった。

ヒラリーはすぐにリビアを離れ、すでに制圧済みのアフガニスタンに向かった。
クリントン米国務長官、アフガン電撃訪問 大統領と会談(CNN)
カブール(CNN) クリントン米国務長官は19日、前日のリビアに続きアフガニスタンを予告なしに訪問した。

米国務省によれば、クリントン長官は20日にアフガニスタンのカルザイ大統領と会談、米国のアフガニスタンに対する支援の姿勢を示す予定だ。会談では、アフガニスタンとパキスタンの関係についても話し合われると見られる。

アフガニスタンでは、駐留米軍が完全撤退する2014年末に向け、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)からアフガン側への治安権限移譲プロセスが進められている。

米国務省によれば、マーク・グロスマン特別代表(アフガニスタン・パキスタン担当)もこの地域を訪問中だ。

ここで記者からインタビューを受けている時、カダフィ拘束の報告を受けた。その時の模様がカメラに収められている。
ヒラリー長官「ワーオ!」カダフィ大佐死亡の報に(テレビ朝日)
 カダフィ大佐の死亡を受け、オバマ大統領は、NATO=北大西洋条約機構による軍事作戦が功を奏したと強調しました。

 8カ月前、NATOの空爆にアメリカが参加することを決断した時、野党から「新しい戦争を始めるのか」と厳しい非難を受けました。それだけに、カダフィ大佐の殺害はオバマ政権にとっても大きな成果といえます。
 オバマ米大統領:「明らかにNATOの作戦が非常に効率的に遂行された」
 今週、リビアを電撃訪問したクリントン国務長官は、訪問先のアフガニスタンで知らせを聞きました。
 クリントン国務長官:「ワーオ!」
 東京にあるリビア大使館には以前、カダフィ政権を象徴する旗やプレートがありましたが、現在はすべて取り外されています。
 駐日リビア大使館・オウン臨時代理大使:「(カダフィ大佐拘束の一報は)私を含め、全リビア人が待ち望んだ喜びの瞬間でした」
 在日本リビア大使はこのように話し、今後の日本からの協力に期待を示しました。

驚きというよりは確認という感じだ。
カダフィはパンナム機爆破事件のこともあり、アメリカが「国家の敵」と認定していた時期があった。その後宥和路線を取ることになったが、アメリカはどういう決着の仕方を望んでいたのだろうか。結果としてはパナマのノリエガのように裁判にかけるコースではなく、現地人によって殺害されるというルーマニアのチャウシェスクコースとなった。(余談だがノリエガが現在フランスの刑務所にいることを知って驚いている)


ヒラリーはアフガンの次にパキスタンを訪れている。パキスタンに拠点を置きアフガン情勢を混乱させているアルカイダをもっと厳しく取り締まれとねじを巻くのが目的だ。要は今回の中東歴訪は、訪問時点で形勢が決まっていたリビアが目的ではなく、アフガニスタンから米軍を撤退させるための根回しが主眼だったのだろう。単にリビアの独裁者の殺害過程を確認するだけなら、今年5月のアルカイダのトップであるウサマ・ビン・ラディン殺害の時同様、アメリカ兵のヘルメットにカメラを付けてホワイトハウスで生中継を観れば済むことだからだ。

Obama watched Bin Laden die on live video as shoot-out beamed to White House(dailymail)
ビンラディン殺害の一部始終をオバマ大統領が「衛星生中継」で見ていた(ニュー速VIPブログ)

こんなホワイトハウスの状況をよくカメラマンに撮らせているものだと思うが、こういう写真も公文書同様、後世に記録として残すのが政府の義務だという認識があるのかもしれない。


この一連の動きは次にシリア、最終目的地はイランということになる。アメリカが急いでいるのはイランが長距離ミサイルと核兵器を同時に持つ前に政権を転覆する必要があるからだが、核開発が成功するしないにかかわらず、イランに手をつけた段階でイスラエルが巻き込まれる可能性が高い。そうなるとほぼ自動的に第五次中東戦争になってしまう。きたるべき欧米の大不況は、数年後に砂漠に流れる大量の血を求めるのだろう。


<追記 11年12月12日>ノリエガ服役囚がパナマに22年ぶり帰国、フランスから移送(ロイター)
[パナマ市 12日 ロイター] 1980年代にパナマで軍事独裁政権を率いたノリエガ服役囚(77)が12日、収監されていたフランスから約22年ぶりに祖国へ帰国した。母国では、在任中の政敵殺害に関与した罪で禁錮20年の刑に服すことになる。

パリの刑務所を出発したノリエガ服役囚は、現地時間11日午前7時30分ごろ、民間機に搭乗。スペイン・マドリードを経由し、パナマ時間の11日夜に帰国した。同服役囚にはパナマの司法長官と医師が同行している。

ノリエガ服役囚は海外で服役中、パナマで複数の殺人罪で有罪判決を受け、禁錮20年の刑に処されることになるが、高齢のため自宅軟禁になる可能性もあるという。

ノリエガ服役囚は1989年に米軍によるパナマ侵攻後に逮捕され、米フロリダ州の刑務所で服役後、在任中に麻薬密売やマネーロンダリング(資金洗浄)を行った罪でパリの刑務所に収監されていた。
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2011年09月13日

11-09-13

ヨーロッパからアメリカに資金逃避が起きてるんだから、アメリカの被害は知れている。ユーロ圏限定の金融恐慌で済むんじゃないか、というのが今日の時点での予測。多少希望的観測が入ってるのは認める。

数年後に「微妙な時点でどうジャッジしていたか」を読み返すエントリを残しておきます。
posted by kaoruww at 02:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月09日

東京都がとしまえんを買収し、防災公園化の意向を示す

「としまえん」が都立公園に 10年以内に着手へ 西武ホールディングスは「売却する予定ない」(産経)
 東京都は9日、西武グループが運営する遊園地「としまえん」(練馬区)の敷地など約22ヘクタールを買収し、防災機能を持った都立公園として整備する方針を明らかにした。16日公表の「都市計画公園・緑地の整備方針」の改定案に盛り込む。10年以内の事業認可を目指し、西武側とも交渉を進めていくという。

 都建設局は「交渉次第だが、遊園地が存在したままの公園化は困難」としており、都立公園化には遊園地の閉園が前提となる見通しを示した。買収費用は算定していないとしている。

 都によると、「としまえん」の敷地は、昭和32年段階で「練馬城址公園」として、都市計画決定されていたが、事業化には着手していなかった。これまでに都が都市計画決定したケースで未着手のものがなくなったことから、「としまえん」の公園化に乗り出すことになった。10年以内に国土交通相の事業認可を得て、事業化を進める考え。

 「としまえん」はすでに災害時の避難場所にも指定されているが、都は「都立公園になれば、永続的な避難場所として管理できる」と説明している。

 西武グループの持ち株会社西武ホールディングスによると、「都から詳細な内容は何も聞いておらず、現状でとしまえんを売却する予定はない。今までと変わらずも営業を続ける」とコメントしている。

すでに堤家の手を離れた西武鉄道だが、西武と東京都には土地をめぐって因縁がある。04年10月に目黒区の国立科学博物館付属自然教育園に行った時に書いたエントリから引用する。
庭園美術館と自然教育園は放っておいたら今ごろは白金台プリンスホテルになっていた所である。

猪瀬直樹の「ミカドの肖像」に詳しいが、近頃表舞台から消える事になった堤義明の父、康次郎が終戦直後のドサクサにまぎれて財産税で苦しむ皇族に近づき、実務を取り仕切る執事に将来の保障をする事と引き換えに二束三文で手に入れた土地だ。しかし住民運動によりホテル建設を防ぎ、昭和57年3月に都が138億円で買い上げた。
当時税金の無駄遣いとの批判も強かったのだが、それはやはり正しい判断だったのだと思う。
結局得したのは都民の税金を合法的に手に入れた西武なのだが。

旧皇族朝香宮家が1947年に皇籍離脱するまで過ごした朝香宮邸は、吉田茂が外務大臣公邸として利用したあと1950年に西武鉄道に払い下げられた。

旧李王家邸を赤坂プリンスホテルに、旧竹田宮邸を高輪プリンス、旧北白川宮邸を新高輪プリンスにと、手に入れた旧皇族の土地に次々とホテルを建て、皇族ブランドを「プリンス」の名称と菊の御紋をデザイン化したロゴマークで商業利用してきた西武鉄道。手に入れた朝香宮邸に茂る雑木林を潰してホテルを建設する計画を発表すると激しい反対運動が起き、結局都が買い上げたという経緯がある。

今回ふって湧いたようなとしまえんの公園化計画。東京近郊の遊園地は少子化のあおりを受け02年向ヶ丘遊園、09年多摩テックと閉園が続いている。としまえんも入場者数が減り、累積損失解消のために関連企業の再編をしたりと苦しい状況にある。売却金額は数百億円にのぼるとみられており、西武鉄道に投融資している企業・銀行にとってはありがたい話だろう。

ただこれだけの規模の話だと、たとえ震災後の「防災エリア拡充」という錦の御旗があったとしても十分な精査が必要なのは当然だ。なにしろとしまえんは現時点でも災害時の避難場所に指定されている上、北には光が丘公園・東に都立城北中央公園・西に石神井公園がある。

大きな地図で見る

記事にある「昭和32年段階で「練馬城址公園」として、都市計画決定されていたが、事業化には着手していなかった。これまでに都が都市計画決定したケースで未着手のものがなくなったことから、「としまえん」の公園化に乗り出すことになった」という理由もどうなのか。54年前の計画策定後に巨大団地・光が丘団地が整備され、見ての通りとしまえんの敷地よりも広大な光が丘公園ができたにもかかわらず、そのすぐそばにさらに都立公園が必要かという疑問はあるだろう。「永続的な避難場所として管理できる」ことを理由に数百億を費やすことが妥当かという議論は必要だし、より費用対効果の高い防災計画はないのか模索する必要もある。

いずれにせよまだ交渉が始まっていない段階だ。注目しておきたい。


<補遺>
・07年4月1日、プリンスホテルは堤時代の皇室ブランドを利用してきた過去と決別するかのようにロゴマークを変えた。
プリンスホテル 新ロゴマークを発表

・旧朝香宮邸の東京都庭園美術館はリニューアル工事のため11月1日より約2年間休館となる。そこで10月6日から30日まで、朝香宮邸の建物に焦点を絞った展覧会「アール・デコの館」を開催する。ふだん公開される機会の少ない部屋も観ることができるようだ。
東京都庭園美術館建物公開「アール・デコの館」
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2011年07月29日

日本最速ピッチャー・伊良部秀輝死去

元ヤンキースの伊良部さん死亡 ロス近郊の自宅で(朝日)
 プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さん(42)が27日、自宅のあるカリフォルニア州ロサンゼルス近郊で亡くなっていることがわかった。ロサンゼルス捜査当局によると、伊良部さんは自宅で首をつった状態で見つかっており、死因は自殺と見られている。

 伊良部さんは、1987年のドラフト1位指名で尽誠学園高(香川)からロッテに入団。1997年から大リーグのヤンキース、エクスポズ、レンジャーズでプレーし、2003年に阪神に入団。04年を最後にプレーをしていなかった。通算成績は、日本のプロ野球は72勝69敗11セーブ、大リーグは34勝35敗16セーブ。
ロッテ時代からトラブルの多い選手だったが、ヤンキースへの移籍騒動の時に「生き別れになった父親をアメリカに探しに行きたいのでは」とのストーリーを作ろうとした取材陣と決定的に対立、日米の移籍ルールが確立していなかったこともあり野茂の時と同様、マスコミはロッテべったりのスタンスで徹底的に伊良部を叩いた。

鳴り物入りで入団したヤンキースでもマスコミとうまくいかず「獲得は失敗だった」と批判されたものの、実際の成績はそう悪いものではない。1年目こそ5勝どまりだったが2年目13勝・3年目11勝と、ヤンキースの2年連続ワールドチャンピオンに十分貢献している。アジア人初のチャンピオンリングを獲得したのが伊良部であることはもっと知られていてもいいだろう。ただし2個のチャンピオンリングを持ちながらもワールドシリーズでの登板機会がなかったあたりは、成功しきれなかった伊良部の人生をどこか象徴しているようでもある。

その後モントリオール・エクスポズ、テキサス・レンジャーズ、阪神と渡り歩き引退。グリーンカードを取得しロサンゼルスで「SUPER UDON」を開業。「伊良部がうどん屋に!?」と一部で話題になる。開店当初はそこそこの人気店だったようだ。07年に大阪のバーで店舗を破壊、マスターに暴行して現行犯逮捕されたが不起訴に。TBSの「波瀾万丈ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった…!」に出演、引退後初めてメディアに顔を出しうどん屋の店内を公開。この時のことをちょっと書いていた。野茂ファンではあるが伊良部ファンというわけではなく、なぜこんなに引退後の伊良部に興味を持っていたのか我ながらよくわからない。結局このSUPER UDONも閉店。この頃のWikipediaには「自らレシピを吟味し厨房にも立ったが、飽きてしまい閉店した」と書かれていた。もうちょっと書きようがあると思うのだが。

09年8月、四国・九州アイランドリーグで現役復帰。しかし翌9月に右手首腱鞘炎で全治3週間の診断を受け、伊良部側の希望により退団。2度目の引退を表明した。そして10年5月に酒気帯び運転によりロサンゼルス郊外で逮捕。これ以降、伊良部をメディアで見る機会はなかった。

あり余る才能を持ちながら最後は首吊り自殺ではやりきれない。センシティブで人づきあいが下手な、日本最速ピッチャーの冥福を祈る。
posted by kaoruww at 07:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする