2007年12月24日

ドグラ・マグラを読むコツ

今日、青空文庫で夢野久作の「ドグラ・マグラ」が公開された。ボランティアの皆さんの何年にもわたる地道な作業がついに陽の目を見たわけで、心からおめでとうと申し上げます。そしてお疲れさま、ありがとう、と。

夢野久作 「ドグラ・マグラ」(青空文庫)

さて、ご挨拶はこれぐらいにして問題に対処せねばならない。どうすれば「ドグラ・マグラ」を読み通すことができるのか、という厄介な問題にだ。ただでさえこの作品は長いのだから、読み方のヒントまで長くするわけにはいかない。簡潔に書こう。


「ドグラ・マグラ」はエンターテイメントである

これほど怪しげな噂にまみれた作品もない。いわく「日本三大奇書のひとつ」、いわく「これを読むと気が狂う」等々。こういう噂を聞けばどんな難解な作品かと身構えたくなるが、実際には難しい作品ではない。むしろ親切なぐらいにエンターテイメント寄りの造りになっている。この手の評価におそれをなして最初から読むのをあきらめるのはバカバカしいことだ。読めばちゃんとわかる。本当だ。ただ、400字詰め原稿用紙で1200枚という長文な上に、構成に特徴があるので挫折しやすいだけなのだ。長さに関してはともかく、あらかじめ構成を知っておくだけでかなり読みやすくなる。


「ドグラ・マグラ」の構成の特徴

まず普通の小説同様、地の文から始まる。しかししばらく読んでいると、いきなり「チャカポコチャカポコ」と奇妙な文章が出てくる。せっかく読む気になった読者の少なからぬ人がここで挫折するようだ。一体なんなんだこれは、と。おおよそでも全体の構成を知り、この部分を読むコツを知っていれば、一気に作品世界に入っていけるだろう。作品の構成はこうなっている。

@地の文
Aキチガイ地獄外道祭文
B地球表面は狂人の一大解放治療場
C絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず =正木博士の学位論文内容=
D胎児の夢
E空前絶後の遺言書 大正十五年十月十九日夜 キチガイ博士手記
F地の文

「ドグラ・マグラ」の構成の特徴は、A〜Eまでが主人公が読む書類のファイルで、それを読者が主人公と同じ立場で読むというところだ。地の文と地の文のあいだ、作品のおよそ半分を占めるこの膨大なファイルの始まりがAの「チャカポコチャカポコ」の部分なのだ。だから「しばらくは資料を読み続けるのだ」ということがわかっていれば、戸惑いも少なくなるだろう。


ラップとして読め!

Aの「キチガイ地獄外道祭文」は、この物語の真の主役ともいえる九州帝国大学医学部の正木教授が、世の精神医学への無理解や精神病院における患者への虐待などを告発するために路上で行ったパフォーマンスの内容を、パンフレットにしたものである。これを普通の文章だと思って読むとひどく読みにくい。冒頭部分を引用する。

 ▼ああア――アア――あああ。右や左の御方様(おんかたさま)へ。旦那御新造(ごしんぞ)、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの道傍(みちばた)に。まかり出(い)でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
これを文章だと思ってはいけない。歌詞なのだ。路上に立つパフォーマーが、医学界という権威への怒りを、虐げられる人たちへの同情を、通りすがりの人の足を止めて聞かせるプロテストソングなのである。

歌詞は基本的に7・7・7…と7文字で進行する。ラップを歌うように足でリズムをとるもよし、右手のマウスでスクロールしているのなら、左手で机を叩くもよし。まわりに人がいなければ声を出してもいいし、なんなら「YO!」「チェケラ!」などの合いの手を入れるのもいいだろう。ともかくこれは歌である。普通の文章として読んではいけない。


わからないところはほどほどに

「空前絶後の遺言書」の中に「青黛山如月寺縁起(せいたいざんにょげつじえんぎ)」というのが出てくる。冒頭部分を引用する。

 晨(あした)に金光を鏤(ちりば)めし満目(まんもく)の雪、夕(ゆうべ)には濁水(じょくすい)と化(け)して河海(かかい)に落滅す。今宵(こんしょう)銀燭を列(つら)ねし栄耀(えいよう)の花、暁には塵芥(じんかい)となつて泥土に委(い)す。三界は波上の紋(もん)、一生は空裡(くうり)の虹とかや。況(いわ)んや一旦の悪因縁を結んで念々に解きやらず。生きては地獄の転変に堕在し、叫喚鬼畜の相を現(げん)し、死しては悪果を子孫に伝へて業報(ごっぽう)永劫の苛責に狂はしむ。その懼怖(くふ)、その苦患(くげん)、何にたとへ、何にたくらべむ。
こんな調子でけっこう長く続く。もちろんがんばって読んでもいいが、実のところさらっと読み飛ばしてもかまわない。ここに限らず、なんとなく「そういう雰囲気」をつかめばよいので、あまり神経質にならないことだ。


まとめ

「読者は主人公と同じ立場で資料を読む」、「作品の約半分はその資料」、「部分的にわからなくても神経質にならない」。これがドグラ・マグラを読むポイントだろうか。もっとも一番重要なコツは、青空文庫ビューワーなどを利用して縦書きに直して読むことかもしれない。これを横書きのまま全文読める人っているのだろうか?でも最近はケータイを使って親指だけで小説を書いてしまう豪の者もいるらしいしな。あんがい読める人もいるのかも。

最後に、私の持っている東京創元社刊・日本探偵小説全集4 夢野久作集に収められた、久作の息子である杉山龍丸氏の文章から引用する。

この初版本を私に渡すとき、彼はこう云った。
「龍丸、とうとう俺は、世界一の長編探偵小説を書くことができた。おそらく、世界の傑作となるだろう」
私はたしか、丸二日間、この本に没頭した。三回くらいは読み返したろう。
「お父さま、判ったよ。初めのブーンから終わりのブーンまで自分という人間が何であるかということを書いたもんじゃろう。二重、三重、いろいろのものにとらわれている人間というもの、人間の意識、そのとらわれているものを除いての人間とは何か、が書いてあるとじゃろう」
こう云うと、夢野久作は
「なんや、おまえも判ったか?」
と、がっかりしている。
「お父さま、それでも、この阿呆陀羅経は長すぎるよ」
と云うと、母が、
「お父さまの小説は、一般の読者が泣いたり笑ったりするものでない、理屈の多かっちゃん」
と云うのを聞いて、閉口したような顔で立っていた父の姿が、今も眼に残っている。


本で読んでみたいが、一番手に入りやすい角川文庫版の表紙絵が、上下巻ともにあまりにもあんまりでレジに持っていけないというシャイボーイやシャイガールもいるらしい。気持ちはわかる。そういう人は通販ならどうか、とアフィリエイトリンク付きで紹介しておく。エヘヘヘヘ……イヒヒヒヒ……オホホホホ……

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おまけ

「横書きだろうが縦書きだろうがそんな長いもん読むほどヒマじゃねーんだよ」という声が聞こえてくるようだ。まったく世話が焼ける。わかった。夢野久作は短編の名手としても知られている。400字詰め原稿用紙で15枚ぽっちの短編を紹介しよう。江戸川乱歩も感心したという、倒叙法を効果的に使った作品だ。

夢野久作 「瓶詰地獄」

本来は「瓶詰の地獄」というタイトルだったのだが、いつのまにか間違った表記が定着してしまったらしい。「妹萌え〜」とか言ってるような連中だけが喜ぶような作品ではない。社会や宗教が生まれる以前の、人間の原罪に迫る物語だ。


しかし天気のいいクリスマスイブに、こんな「キチガイ」を連発するエントリーを書いているのは、なにか根本的に人生が間違ってるような気がする。まあ細かいことは気にしないことにしよう。メリークリスマス。
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2007年05月20日

檀一雄 「檀流クッキング」「美味放浪記」

檀一雄しのび花逢忌、能古島・旧居は取り壊しへ(日経)

小説「火宅の人」や檀流クッキングで知られる作家、檀一雄(1912―76年)が晩年を過ごした福岡市西区の能古島で20日、檀をしのぶ恒例の「花逢忌」が営まれた。
檀一雄は、今では檀ふみの父親と言った方が通りがいいのかもしれない。記事に出てくる「檀流クッキング」はまさに名著。昭和44年に産経新聞に連載されたものをまとめた本だ。グルメエッセイではない。子どもの頃から自炊してきた男が、世界を放浪しているうちに身につけた様々なレシピを、実践的かつツボを押さえた達意の文章で綴るという稀有な作品である。

季節の変わり目ごとに4章に分かれている。ちょうどこれからの季節の「春から夏へ」から「梅干・ラッキョウ」より少し引用してみる。

梅干だの、ラッキョウだの、何だか、むずかしい、七めんどうくさい、神々しい、神がかりでなくっちゃとてもできっこない、というようなことを勿体ぶって申し述べる先生方のいうことを、一切聞くな。檀のいうことを聞け。
梅干だって、ラッキョウだって、塩に漬ければ、それで出来上がる。嘘じゃない。
こんな調子でポルトガル・スペイン・ロシア・中国・韓国といった放浪先の料理から、故郷の九州・柳川の家庭料理におせちまで、全92種。守備範囲の広さは他の追随を許さない。しかも文章が面白い。実際台所に入る人も、ただ読むだけの人も、どちらも楽しめる。


私の枕元には寝る前に読むための本が何冊か置いてあるのだが、これはもちろん読み終わればどんどん変わってゆく。でもここからなかなか外れない本もある。それが檀の「美味放浪記」だ。檀は一度ウチを出てしまうと今度いつ帰ってくるか本人にもわからないという強い放浪癖の持ち主だった。彼が土地土地で出会った味の記憶を、放浪の思い出と共に書いたのがこれだ。国内篇と海外篇に分かれている。読者は面白く読めるのだが、家族はたまったものではなかったろう。なにしろ火宅の人であるし。

檀がオーストラリアのゴールドコーストで、水着を着て浜辺に向かっていたら、雨が降ってきた。
ついてない時は、ついてないものだ、とフッと見ると、パブが一軒あいていた。
急いで入り込み、ビールを二、三本飲んでいるうちに、篠つく大雨になってきた。稲妻と雷鳴が呼応しあうのである。
そのパブは、大きなガラス張りになっていて、海に泳いでいた男女達が逃げまどう姿が、まるで手に取るようによく見える。
手と手をつなぎ合って、駆け込んでくる男女。
脅え、耳をふさぎながら、こちらの軒先に走り込んでくるビキニスタイルの美女達。
パブの表通りは、それらの避難する水着姿の男女達で、ごったがえし、どのようなアトラクション、また、どのようなストリップ・テーズよりも、なまめかしく、精彩を帯びて眺め渡された。
その雨にうたれる水着姿の男女群は、写真機さえ持っていたら、驚くほどの、千変万化の肢体を記録することが出来たろう。
しかし、私はそんな写真など撮してみたい気持は毛頭ない。ただ、海の全面に、逃げまどう、はかない人体の律動を見守りながら、ビールを、つぎつぎに、飲み乾しているだけだ。

どちらも21世紀になってから新装されていて、私の持っている本の装丁とは違うけれど、今でもこの2冊の本を必要とする人がいることが、なんとなくうれしい。

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2006年09月07日

増田悦佐 「東京圏これから伸びる街」

さて、今週はそれなりに仕事がありつつも、かなり自分のペースでできるというありがたい環境にあります。自分で勝手にスケジュールを決めて動けるので、そこらの大学のカフェテリアに入って売店でお茶とチロルチョコ(杏仁豆腐!)を買って本を読んだり。

東京の土地のごく一部(六本木の防衛庁跡地とか)が、ついに80年代末期のバブルの頃の史上最高値を超えたというのを聞き、増田悦佐の「東京圏これから伸びる街」を再読しています。この人の本は「見たこともない変な資料を山ほど引用して、思いがけない結論に断定的に導く」というスタイルなので、好き嫌いがハッキリ分かれるはずです。あまりの口の悪さについ笑ってしまったり。

「東京は西に移動する」と主張しています。そして次の都庁移転地の本命が吉祥寺だと言うのですけど、それは私だって「うそーん」と言わざるを得ません。しかし読み物として面白いことは間違いないです。

ちょっとでも「都市」に興味のある人はぜひ読むことをお薦めします。18世紀の世界最大の都市・江戸から東京への変化もよくわかります。楽しい本ですよ。

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2006年05月05日

若桑みどり  「絵画を読む」「イメージを読む」

休みで時間もあることだし、まるで機能していない書評カテゴリーを更新してみようと考えた。ならば前エントリーを受けて、若桑みどりがジェンダー論を展開している本でも取り上げましょうと思ったんだが、実のところ私は若桑みどりのフェミニズム関係の本は読んだことがないのであった。ええーー。

どういうことかというと、私は美術史家としての若桑みどりの読者なんである。フェミ方面に関しては、美術の本で触れられる部分については多少読んではいるけれど、ジェンダーそのものを扱った著作は読んでいないのだ。もしかして無意識に遠ざけているのだろうか?

ちょっとどんなもんかとアマゾンで「お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門」のレビューを見てみたら、なんというかこの学問の困難を示すような罵声が飛び交っていた。あらら。やっぱりね。男の側からの反論は十分な注意をしないと反論として成立しないのだが(男の側のスタンスそのものを難じているのだから)、愚にもつかない人格攻撃を始める始末。その結果、著者の男性に対する批判の説得力を高めてしまっていることに気がつかないのである。うわー、ばかってかなすぃ。ははは。

ならばどういう批判なら批判として成立するか。たとえばこういうの。

浜下昌宏(神戸女学院大学)による書評
若桑みどり『象徴としての女性像―ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象』

「若桑みどり」という華やいだお名前に胸をときめかさなかったかと言えばウソになるかもしれない
その仕事振り・活動振りには注目を怠らず、敬意を持って著作を読ませてもらっている
などと儀礼的に書いてはいるが、後段の批判はかなり厳しい。

この種の攻撃的フェミニスト特有の単純化(男は皆狼、男は皆家父長制社会の支配者およびその予備軍、etc.)はよろしくない
微妙な差異を捨象してのいっしょくたの論理は学問研究の名に値せず、あまりに政治的・イデオロギー的になることに注意してもらいたい
あまつさえ「本書で著者が成したことは、美術史研究の内在的な論究に導かれて定立した原理論に基づくというよりも、歴史研究の一部としての美術史である」という部分は美術史家としてのありようそのものを批判しているわけで、よーここまで書くわといったところ。関係ないけど内田樹の同僚なんですね。
フェミニストに対する男からの批判はどうしても「この論法自体が差別だ」という話になりがちなので、ここにも書いてあるとおり「敬して遠ざけておきたい」のが普通であろう。よっぽど腹に据えかねたんでしょうか。


でも私は論壇系blogをやってるわけでもないし、フェミニズムの話はどーでもいいんである。前述の通りフェミ系の著作は、よっ、読んでなんかいないんだからね!(←なぜツンデレに)


学生の頃、科学史の授業を取っていた。退屈な講義の最中に、講師が授業の内容とは全然関係なく「今NHKでやってる美術の番組はすごく面白い、見た方がいい」と話し始めた。そういえば女性の講師だった。今思えば何で突然そういう話になったのかわからない。若桑みどりのファンだったのかもしれない。
なぜか興味を覚えて、「人間大学 絵画を読む」というNHK教育の番組を見た。とても刺激的な番組だった。一枚の絵を、それが書かれた時代の思想や社会体制を踏まえて、考えもしなかった視点から解釈していくのだ。それまでさほど美術に興味があったわけでもなかったが、「イコノロジー(図像解釈学)」という学問があることをこの時に知り、絵というものを自分なりに考えながら見るようになった。

この時のテキストを改訂したのが「絵画を読む イコノロジー入門」で、初めて読んだ若桑みどりの本ということになる。十二枚の絵画それぞれに「作者はどういう意味を伝えようとしたか」また「その意味がどんな方法で表現されたか」を解説している。特にデューラーの「メレンコリアT」(これはテレビ東京「美の巨人たち」へのリンク)の解釈は、まるで未知の世界の扉が開かれたような気がしたものだ。初心者向けに平易に書かれた本である。おすすめ。

その後値段の高い本は学校の図書館で読んでいた(人文学系は高いねえ)が、筑摩書房から「イメージを読む」が出た時は手頃な値段だったので買った。「メレンコリアT」と「テンペスタ(嵐)」は「絵画を読む」とかぶっているが、「システィーナ礼拝堂」と「モナ・リザ」も取り上げている。1冊で4作品だけだから、こちらの方が内容が濃い、というか水準が高い。
さて、ここでうれしいお知らせです。この「イメージを読む」が、ちくま学芸文庫から再版されて手に入りやすくなっております(、ってこういうこと書くとアマゾンのアフィリエイトをやってると思われそうだが、やってませんと書いたんだが、このエントリーをきっかけに始めてみました)。というか今気がついたんだけど、アマゾンのアフィリエイトって画像をblogに貼るときに必要だからみんなやってんのか!?えーと話がそれましたが、こっちの方がちょっと読みにくい。やっぱりレビューでツッコまれている。美術史関係の本のレビューはさすがに荒れないようだが。



しばらく経ってから、放送大学でやっていた講義「イメージの歴史」をちょくちょく見たり。今「松岡正剛の千夜千冊」というサイトを見て、この講義録が無性に欲しくなった。買おうと思ったことはあったのだが、講義とセットで図像を見なければわからないだろうと思ってやめたのだ。録画もしていないし。でもやっぱり欲しいなあ。もう講義は終わっているはずだが、まだ売ってるんだろうか。


というわけで私にとって若桑みどりという人は、フェミニズムの闘士ではなく美術に目を向けさせてくれた人なのだ。ジェンダー方面の意見については詳らかではないが、美術に関しては「事実についての知識は、感受性を深めこそすれ決してそれを抹殺しない」(「絵画を読む」より)という意見に全く賛成なのである。
posted by kaoruww at 23:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月27日

中島らも  「今夜、すべてのバーで」

著者のアルコール依存症による入院体験を基にした小説。

ライターの小島容(いるる)はルポやドキュメントを得意としていたが
初めてフィクションの依頼を受ける。
資料集めなどを順調にしていたものの、いざ机に向かうとまるで書けない。
毎日飲んではいたが締め切りのプレッシャーから一日にウィスキーを二本飲むようになり、起きている間は常に飲みつづける「連続飲酒」が始まってしまう。
食べ物も受け付けなくなり、牛乳すら飲めなくなる。
それでも酒だけは飲む、という状況で自ら病院に行き入院する事になるが・・・

奇妙な入院患者たちの生態、個性的な医者、そして亡き親友の妹でマネジャーでもある天童寺さやかとの関係。

医学的知識と共に飲酒に限らない「依存」全般についての考察。

これらのことが冷静かつサービス精神たっぷりに描かれている。

キャラクターも分かりやすく、ストーリーもシンプルで、しかし面白い。
読後感もとても良い。おすすめの作品だ。


エンディングを引用する。


さやかが、高いスツールの脚を思いっきり蹴った。おれはなんとか平衡を保とうとしたが、そのままゆっくりと後ろへ倒れ込んでいった。
もうすぐバーの後壁にゴンと頭をぶつけるにちがいない。昔、酔っ払ってよくやったように。
いまこの瞬間も、何百、何千という酔っ払いが、同じ事をやっているのだろう。今夜、紫煙にけむるすべてのバーで。
ミルクの杯を高くかかげて、地上へ倒れていきながら、おれは連中のために呟いた。
 スコール
「乾  杯!」



作家の中島らもさんが死去

この作品のエンディングが中島らもの終わりを暗示していたのかな、と
ふと思った。



この作品の中に「久里浜式アルコール依存症スクリーニング・テスト」というのが出てくる。実際自分がどういう状態なのか判定する事ができ、こういうところもサービス精神旺盛なわけだが、

2点以上・・きわめて問題多い(重篤問題飲酒群)
2〜0点・・問題あり(問題飲酒群)
0〜-5点・・まあまあ正常(問題飲酒予備群)
-5点以下・・まったく正常(正常飲酒群)

というテストで小島(つまり多分中島らも)が12.5点である。

えーっひでーーー。
しんじらんなーい。

俺なんかなーたったの6.7点だー。わっはっはーー。



というわけでこの本から得られる教訓は
「飲んだ時は転ばないように気をつけろ」でしょうか。


最後は笑って送り出してあげたいと思います。


らもさんのために乾杯!(もう飲んでるけど)

posted by kaoruww at 23:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月28日

榊莫山 書百話

雑誌の連載なんかでネタにつまると日記形式にして誤魔化したりする。
某月某日とかいってダラダラ書けば規定の量は埋まる。
でも、このblogはもともと日記みたいなものだからそういうことは出来ない。

困ったときはどうするか。

書かなきゃいい、という事になるとこれまでのように平然と1ヶ月以上書かなかったりする。それも芸が無い。

そういうときは書評を書こう。


書百話 榊莫山著 ハルキ文庫

榊莫山といえば、若くしていろんな書道の賞を総ナメにしたあげく、32歳のときに書壇を離れ個展を中心に自由な活動をしている、なんてことよりもそのバック・トゥ・ザ・フューチャーのクリストファー・ロイド(科学者ね)みたいな風貌と焼酎よかいちのパッケージを書き、そのCMにでてた人、という認識の人が多いかもしれない。

しかしこの本を読めば、この人が単に「書なんていうんはですなぁ、思った事をパーッと書けばええんですわ」とか言ってる呑気なじいさんで無い事がわかる。

経歴を知れば納得なのだが、この人は権威が大嫌いで、野人と言ってもいい人なのである。

章立ては、

一.本家はさすが---中国の書
二.やはり人柄---文人の書
三.坊さん筆持ちゃ---僧の書
四.野にきらめいて---野の書
五.書法あれこれ---雑抄
六.莫山モノローグ---莫山周辺

となっている。

有名な書から寺の境内に掲げられた扁額、印に刻まれた字や料理屋の「ゆどうふ」と書かれた看板まで、写真を示した上で縦横に論じている。

自分の気に入った書を紹介しているのだが、なかには例外もある。
明治時代の役人や軍人が書いた書で、これらに対する筆誅は容赦ない。

文字にはその人が否応なしにあらわれてしまうというのが、写真が添えられているだけに余計にわかる。


以前テレビで片岡鶴太郎の書もどきを、誰が書いたか聞かされずに感想を問われ、
「これ書いた人はえらいほめられたがってますなぁ」と答えたのを見て、
うーんさすが、と思ったことであるよ。

posted by kaoruww at 02:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする