後藤新平は明治31年(1898年)に、台湾総督府民政長官となった。この幕末生まれの政治家は、あまりに壮大な計画を立てることから「大風呂敷」と揶揄されることもあったが、実際には極めて現実的な政策を推進した。
当時台湾では匪賊が跋扈していた。生活苦から山賊になった者や抗日運動をするゲリラまでいろいろだが、そのため治安が非常に悪かった。総督府の警察は強攻策を主張したが、政策立案の事実上のトップである後藤はこの案を退けた。後藤は匪賊たちに投降を呼びかけ、これに従った者は罰しなかった。しかも「仕事がなければ収入もなく、治安の不安定要因となる」と、彼らを台湾近代化のための土木工事に就かせた。この台湾総督府の対応を見て、大部分の匪賊が投降した。そして警察は最後まで抵抗した少数の匪賊のみを武力鎮圧した。結局掃討完了まで5年かかったし、「犯罪者に甘い」という意見もあろうが、極めて実効性の高い政策だった。
後藤は台湾に蔓延していた阿片の根絶にも乗り出す。
Wikipediaから引用する。
まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功し、アヘン患者は徐々に減少した。総督府によると、明治33年(1900年)には16万9000人であったアヘン中毒者は大正6年(1917年)には6万2000人となり、昭和3年(1928年)には2万6000人となった。なお、台湾は昭和20年(1945年)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。
1898年に後藤が台湾に着任してから47年後に阿片はようやく根絶されたわけである。後藤は昭和4年に亡くなっているので、当時の大日本帝国政府が後藤の死後もこの政策を続けたわけだ。台湾の対岸にある清朝政府に対して、阿片の輸入を認めさせるために
阿片戦争(wikipedia)まで起こしたイギリスに比べれば、単純に厳罰化して地下に潜らせるのではなく、厳密な管理の下に徐々に中毒者を減らそうという後藤の政策は十分評価に値するはずだが、この政策に対して批判する向きもある。
後藤は阿片・タバコ・酒・食塩・樟脳を専売制とし、その収入を返済にあてることで公債を発行した。こうして集めた資金を、当時まだ未開といっていいほど文明化されていなかった台湾の近代化のために投入した。むろんそれは植民地経営を成功させることが、宗主国である日本のためになるからなのは言うまでもない。だからこの政策を肯定的に評価することは、戦前日本の軍国主義を肯定することになると考える人もいるようだ。
これについては現代の日本人が後付けでいろいろ言うより、実際に統治された台湾人の話を聞くのが筋だろう。彼らが一番発言権が大きいはずだ。昨年、後藤新平賞を受賞した元台湾総統の李登輝氏はその記念講演の中で、後藤を「台湾の近代化を進めた偉人」として尊敬と感謝の念を表している。中国や朝鮮半島の国々と比べて台湾が親日的なのは、この頃の植民地政策について、台湾人が一定の評価をしている部分に負うところが大きい。遅れてきた帝国主義国家である大日本帝国が、初めて得た植民地をなんとしても成功させようと、人的・金銭的・技術的リソースを過剰なまでに注ぎ込んだことが、結果としてのちの国民党支配に比べればマシという評価になったようだ。念のためにここは強調しておくが、日本に植民地化されたこと自体に台湾人がいい印象を持っていないのは当然である。これに関して、ひいきの引き倒しのように「大日本帝国は植民地のインフラを整え、教育をしてやったのだ。感謝しろ」などと言う連中は、日本が自分の利益ためにやったことだという認識がないのだろうか。あちらが感謝してくれるというのであれば謹んでそれを受けるにしても、「感謝しろ」はないだろう。日本は立派日本はすごいと言うのなら、日本人らしい恥の概念も持つべきではないだろうか。
どんな政治的立場をとるのであれ、後世の人間が過去を気軽に断罪することも称揚することも慎重であるべきだろう。どうも後藤新平に関しては、軍国主義時代の日本をどう評価するかという特定の立場からの言説が多いようで、なかなか今回のテーマである公衆衛生に絞った話ができにくい雰囲気を感じる。政策についての話だけをしたかったのだが、ここまでで既に十分政治的な話になってしまったのは残念だ。
-----
このエントリーのポイントを書いておく。「
昔よりも喫煙者の権利は拡大している」ということだ。現在タバコ依存の状態にある人は、逆だと思うだろう。吸いたい時に吸えず、吸いたい場所で吸えず、くさいと顔をそむけられ、意志が弱いとまで侮辱され、今度は税金も上がるらしい。禁煙ファシズムの被害者として日々世間から虐げられているというのに、権利が拡大しているわけがないだろう、と。
気持ちはわかるが、それは薬物依存によってタバコというドラッグに関する認知が歪んでいるからそう感じてしまうのだ。政府がドラッグを公認しているのは、なにも国民に対するサービスや好意でしているわけではない。一にも二にも税収が欲しいだけのことである。しかし現在は、あまりにも取り返しのつかないダメージを心身ともに与えるドラッグを税収目的で認めることは、国家としてやってはいけないことだというコンセンサスができている。極めて依存性が高く、死ぬか致命的な疾病が発病するまでやり続けるドラッグを与えておいて、そこに高い税金をかけるというのは、あまりに非人道的なことだという認識がたばこ規制枠組み条約批准の前提にある。いくら国家が個人よりも圧倒的に強い立場だからといっても、そこまであくどいことは近代国家としてはやるわけにはいかないという考え方だ。これは「今まで国家にいいように搾取され、痛めつけられてきた喫煙者の権利が強くなっている」と考えるのが自然な解釈ではないだろうか。
しかしここで依存状態にある人は言うだろう。「自分は吸いたくて吸っているのだから余計なお世話だ」と。しかしこれも認知が歪められているからそう感じるだけで、実際には自分で決めているわけではない。依存状態にある人からは、当該ドラッグに関する自己決定権はすでに失われている。阿片でも覚醒剤でも、中毒者が「やりたいからやってるんだ」と言ってもだれも真に受けはしない。こう言うと必ず「タバコとそんな薬物を一緒にするな」と、あたかも自分がシャブ中だと言われたかのように怒るのだが、もちろん依存性薬物という意味では同じである。むしろタバコは覚醒剤より依存状態に陥るのが早く、しかもやめづらいという意見もあるほど強烈なドラッグだ。自分が薬物依存の状態にあるという事実すら認めないのは、ドラッグを嗜む大人として如何なものだろうか。
誤解しないでもらいたいが、私は喫煙者を目のかたきにしている人々とは意見が違う。タバコを吸う人や、やめたいのにやめられない人の意志が弱いとは思わない。依存症というのはまぎれもなく病気で、ガンになったり心筋梗塞になったりするのは意志が弱いからではない。だから依存症という病気になるのは意志の強弱とはなんの関係もない。単に病気になったというだけのことだ。病気なんだから病院に行って治しましょうということである。しかしこう言っても、もはや人に頭を下げる機会もほとんどなくなったおじさんや、もともと頭など下げたことのない学校の先生などは、「病院に行けと上から目線で侮辱された」などと言い出すわけだ。こういう薬物依存者と話をするのは、本当に消耗する。普通に世間話をしている時にこういう話になっても、いつの間にか相手の形相が変わって目が座っていたりする。薬物は肉体のみならず精神にも不可逆的な影響を与えることがあり、もともとの人格の被害者意識や粗暴な面を拡大させることが珍しくない。こういう話題に触れる時には十分な注意が必要だと肝に銘じている。
私は人が病気だという理由で差別されることは絶対にあってはならないと思うが、同時に病気だからといって傍若無人にふるまっていいとも思わない。薬物中毒に苦しむ人には「早く治ればいいな」と思うが、病気であることを理由にまわりに迷惑をかけて当然だという態度は許容しない。ドラッグは大人がたしなむものなのだから、自分の状態ぐらいは大人らしく客観的に把握してほしいものだ。少なくともニコチン中毒者の敵は嫌煙者などではない、というごくごく当たり前の事実は認識してもらいたい。実際に自分に害を与えているのが本当は誰なのかということすらわからなくさせるのだから、薬物中毒とは本当に恐ろしいのである。
-----
長くなった。とりあえずこのエントリーは終わりにしよう。最後に今後、日本政府がタバコをどのように扱うかという予想を書きつけておく。
財務省の重要な天下り先でもあるJTや、票田でもあるタバコ農家など、まだまだ十分な力がタバコ産業にはある。3000万人ほどの喫煙者からの私権制限批判も考慮に入れ、近い将来の非合法化の可能性はゼロだ。当面は「一箱1000円」と大きな数字をあげておいて、結局は500円あたりを落としどころにし、「まあ半分ならしょうがないか」という雰囲気に持っていくことだろう。政治家はこういうことをよくやる。これで喫煙人口の低下というたばこ規制枠組み条約の目標を達成すると同時に、税収を増やしながら医療コストを下げるという、政府にとって願ってもない状態がしばらく続く。
厚生労働省研究班によると、タバコが一箱1000円になって喫煙者が80%減っても現在の税収は維持できるという。しかも「
値上げが実現しても、8割の人が禁煙するのは欧米の状況を見ても想定しにくく、税収減はあり得ない」のだそうだ。エゲツない話である。逆に言えば、こういう「喫煙人口を減らしながらも税収が増える」局面だからこそ、大幅な値上げをすることを政府は躊躇しない。
2、30年後、ニコチン摂取の免許制を導入。モルヒネ同様医師の厳密な管理の下に処方されるようになる。若い世代には免許を発行せず、喫煙者の自然減を待ち、最終的にはタバコ産業の力が弱まり、喫煙者の数が選挙に影響を及ぼさないほど小さくなった段階で、免許の発行を停止する。これが半世紀ほど先の話だ。医師出身の政治家が導入し、台湾で成功させたこの政策を、ふたたび実行することになるのだろう。
posted by kaoruww at 22:50| 東京 ☀|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|
![このブログの読者になる](https://blog.seesaa.jp/img/fan_read.gif)
|