2005年11月02日

書く義務感がなくなったらなぜか長くなった

グローバリー社長ら4人を虚偽報告容疑で逮捕

ようやくキターというわけだが、もちろん本命はゴタゴタが表面化したらサッと消えた詐欺師である。愛知県警はたどり着けるか。

<参考>子供服VS悪徳営業マン

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杉浦法相また曲解…小泉首相「自覚を持って発言するように」

こういう札付きの人間を法務大臣にする小泉首相の責任が全く追及される感じがないのがすごい、というかひどい。前任の南野大臣(ノオノと読みます)もそうだが、ここまで「法」というものを軽視する、あるいは無知な人間を法務大臣にするところに小泉氏が根本的に人治主義者であること、非民主的であることが嗅ぎ取れるのだが寡聞にしてそういう観点からのツッコミを聞かない。


もちろん死刑廃止を主張するのはかまわない。なにしろ立法府の議員なのだからそこらへんの人権屋よりよほど死刑制度を廃止する上で力を持っている。国会で刑法を変えればいいのだから。堂々と運動し仲間を増やし刑法を改正すればよい。
しかし少なくとも現時点では日本国の刑法には死刑制度があり、そのことは秘密でもなんでもない。制度の是非を論じる以前の自明の事である。法務大臣を引き受けながら命令書に署名はしない、というのは大臣として職務放棄以外の何物でもない。

海部内閣の時にもこういう話はあった。朝日の記事だが先ごろ亡くなった後藤田氏がコメントを残している。少し引用する。

死刑執行をめぐっては、90年から約1年間、海部内閣の法相だった左藤恵氏が、浄土真宗の住職という立場から、署名を拒否した。その後に就任した後藤田正晴氏が「法相が個人的な思想・心情・宗教観でやらないなら、はじめから大臣に就任することが間違いだと思う」と批判したことがある。

全くそのとおりで、大臣にはなりたくてたまらない、でも心情的にサインをするのはいやだなどというのが通用するはずがない。それが本当に揺るぎない信念であって、なおかつ「法」を踏まえるなら大臣の任命を拒否するほかない。大臣になっておいて「自分の任期だけは執行しない」ということが何かしら死刑廃止運動に資するところがあるというのは間違いだろう。

そういうのは「姑息」というのだ。


で、首相に叱られてコロッと立場を変えたかと思えばまた言い訳じみた「信念」を語ってみたり、要は単なる馬鹿なのである。
朝日の記事で、後藤田氏のコメントのすぐ上に保坂展人などという2度も選挙制度の不備で代議士になってしまった人間が愚にもつかないことを言っているが、どうして死刑廃止議連の連中というのはこう軽薄というか、大人が真面目に聞く気が失せるようなことばかり言うのか。

「法務省が不意をつかれてばたばたしたのだろう。発言を撤回したとしても、死刑に関する調査会を設置する法案の議員立法には追い風になる」んだそうだ。

この騒動を見て「ばたばたし」ているのはどう考えても法務省ではなく自称死刑廃止論者の新法相であり、大方には何やってんだとあきれられるわけだから「議員立法には追い風になる」はずもない。

「サヨク」と言うより「市民運動家」あるいは「団塊の世代」と言った方がニュアンスが伝わりやすいのかもしれないが、この手の人達の自己中心的・我田引水的・天動説的思考パターンは昔から全く変わらない。考えの違う人達を言葉によって説得することができない人達なのである。自分の思い込みを大声でわめくだけでどうして他人の考えを変えることができるというのか。

だから言葉の使えないこの世代の連中は、若いころ武力革命に走る全共闘となり、武装闘争を機動隊に潰されてあきらめたら何食わぬ顔をしてサラリーマンになり、何にでもくちばしを突っ込むが役に立たない声のでかいおっさんとして嫌われるということになっているわけだ。

まあ今ではふつうに無視されるだけの存在だが。


ところで当blogの第1回エントリーがまさにこの死刑制度廃止に関するものだった。

亀井静香ねえ。左巻きの馬鹿よりは腹が座ってるとは思うけど。自民党から追い出されてもまだ死刑廃止議連の会長なのかな。興味がないから調べもしないが。現在傷心だろうからお仲間で慰めてあげてください。


私の考えを書かねば片手落ちになるかなと思い書くのだが、死刑制度についてはそう簡単にYESかNOか言えることではないと今でも思っている。あえて言うなら「現在は容認派だが、建設的な提案なら拝聴する」といったところだ。

昨年12月の内閣府調査(複数回答)では
「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」(因果応報派)54.1%
「死刑を廃止すれば凶悪な犯罪が増える」(犯罪抑止派)53.3%
ということらしい。

善良なインテリを任じる死刑廃止論者の皆さんは「目には目をなんて中世みたいで野蛮だし、死刑制度があるからって凶悪犯罪が減るとは限らない」と言うのだが、私は「そこまで堂々と被害者や遺族の感情を無視していいのか」とか「そりゃあんたらは凶悪犯罪をやれと言われてもやらないんだろうけど、そういうことをする粗暴な連中にとってはかなりの抑止力になってるんじゃないの」と思う。

もちろん死刑制度の犯罪抑止機能については科学的に測定することが不可能だ。特定の、ある時代のある社会に死刑があるかないかで犯罪が減ったかどうか比較することはできないからだ。だからお互い言いっぱなしになってしまいがちになるのだが。

私は現行の刑法で死刑だけをなくしたら最高刑が無期懲役になるわけで、無期とは実質的に懲役20年であることを考えると「そんなの冗談ではない」と思う。仮出所を考えれば約15年だ。廃止論者の中には「死刑廃止と同時に無期ではなく終身刑を導入し、一生刑務所から出られないようにする」という考えるに値する主張をしている人もいるようだが、どうもそこらへんは足並みが揃っていないようであまり強い主張として聞こえてこない。聞こえてくるのは「ともかく死刑は野蛮だから廃止」というだけであり、だからこちらとしては「凶悪犯を減刑するだけ」に感じられてしまうわけである。


結局多くの人が死刑制度に持つ印象(先入観といってもよい)をどうやって変えていくかが「運動」なのであり、死刑容認派が81.4%という国にあってはそここそを戦略的にやっていかなければ廃止など覚束ない。

しかしふだん見聞きするのは、声高なだけで死刑容認派の疑問には何も答えず容認派を愚民扱いするだけの腐れ人権屋だったり、オウムのような凶悪事件がおき首謀者に死刑判決が出たときに反対意見も出さず、ほとぼりが冷めた頃に出てきて「インテリのファッションアイテムとしての死刑廃止」をまた語りはじめたりする連中ばかりだ。

お前ら圧倒的に不利なこの状況を本気で変える気あんのかと言いたい。別に私が心配してやる義理は何ひとつないんだが。



最後に「一生懸命誠実に死刑廃止運動に取り組んでいる多くの人達が気の毒だ」とか付け加えておくのが大人の配慮というものですかねテヘッ。

posted by かおる at 13:07| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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