ミュージシャン・岡村靖幸被告、覚せい剤で実刑判決
岡村靖幸被告(40)の判決が21日、東京地裁であった。って、げっ、岡村ちゃん40代ですか。ふぇーー。
以前「アーティスト岡村靖幸、犯行理由も芸術的?」という記事を読んで悲しく思っていたんだけど
(「検察官「財布の中に売人のイラン人のケータイ番号が書かれたメモが入ってたんだけど、これは?」
被告人「よくわかりません。覚えてないです」
とか
「麻薬撲滅リングを作って、そういう運動をしたい」あたりが特に)、どーうなっちゃってんだよ♪とベタなことを言いたくなるぐらいミジメだ。普通に認めりゃいいのに。再犯なんだから何を言ったって実刑は間違い無いんだし。
私は「酒カテゴリ」を設定しているぐらいだし「中毒・依存」についてはこれまでも自分なりに思うところを繰り返し書いている。酔っ払いが何を書いているか興味を覚えた人は右上の検索窓に「中島らも」とか「岡村」とか入れるとなんか出てきます。
これに関しては「違法か合法か」は本質的な問題ではない。
なぜなら時代によって扱いが違う、それどころか現代でも国家によって法的な扱いが違う、というかなり政治的かつ恣意的な話なのである。本質論とは程遠い。
ならばこの問題の本質とは何か?
「個人」と「社会」の関係に於いて、何かに(薬物に限らない)依存する事により双方に生じる苦しみを極力減らすにはどうすべきか、という問題意識のことではないかと私は思う。
自分の事で言えば、私はたまたま日本政府が認めている(それどころかこれによって多額の税金を毟り取っている)酒が体質に合っているから刑務所に放り込まれずに済んでいるに過ぎない。喫煙者だって同じことだ。コーヒーやチョコレート等の精神状態を変える食品が好きな人も同じだ。
たまたま時の政府によって違法とされていないというだけで、私も多くの人も彼とさほど変わりはしないのだと思っている。
おそらくここまで読んで私が岡村靖幸を擁護していると読む人が多いのではないかと思う。
確かにそういうところもある。しかし裁判所よりも厳しく指弾しているつもりもある。
自分の行動がルールを破ってしまう事はある。生きていれば確かにそういうこともあるのだ。
だが、破ることによって起きる事はすべて自分で引き受けるしかない。
それは時代や場所によってコロコロ変わってしまう法律なんてもの以前の、「自己」と「他者」との約束のようなものだ。
要は、やっておいて「覚えてません」はねえだろバカということである。
懲役1年6ヶ月か。執行猶予中の再犯だから前の2年の刑が足されて3年6ヶ月。中で問題が無ければ2年半そこそこで仮出所だ。規則正しい生活で昔みたいなスリムな岡村靖幸に戻って出てきてほしいと思う。
<参考> 本日出所(勉強になるなあ)
岡村靖幸氏からのメッセージ
<追記 2007/03/03>
出所したことが伝えられた。おそらく初犯の判決が1年半、再犯も1年半で計3年。仮釈放は3分の2を経過したあたりだから全体で2年。これだと2007年10月頃ということになるが、3月の時点で釈放されているということは、拘置所にいた期間が引かれているのではないかと思われる。が、もちろんここらへんは憶測だ。ここを見た人が「教えて!goo」に質問したりもしたようだ。心配している人が多いようで、「まったく愛され系とは岡村ちゃんのことやで」とか思う。ちなみにこのしゃぶしゃぶ(初犯の執行猶予期間中にまた覚醒剤で逮捕されること)のあとにまた覚醒剤で捕まる人は半数以上という。
2005年10月22日
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