2007年11月17日

コンビニ菓子も向上しているの件と、それはそれとして地域の店も支えましょうの件

話題としてはちょっと遅いが、はてなー諸君には「スイーツ(笑)」という言葉はたいへんいけすかないようで、はてブのタグにスイーツがある私などはまるで立つ瀬がない。へーんだ、はてなーなんかキライよ!!

と、おしゃれOLらしく感情的になってみたのだがそれはともかく、最近しばしば、勃然と甘味に欲情することがある。普通に書くと急に食べたくなる。原因はわかっている。酒を減らしているからだ。

酒飲みと甘味好きは対立関係にあるように思われているが、栄養学的に見れば同類だということは以前書いたか。アルコールは分解されれば糖になる。甘いものを食べているのと、肝臓への負担を除けば変わらない。だから酒飲みがドクターストップをかけられると、突然甘いものを貪り食ったりするようになる。普段より糖の摂取量が激減するから、我慢できなくなるのだ。

まあ私が酒量を減らしているといってもほんのマイナス20%といったところで、ぜんぜん減らしたうちに入らない。でも、大事なのは量じゃない。減らそうとする気持ちだ、その気持ちが尊いんだ、ということにしておきたい。よろしくお願いします。

さて、外に出ている時に急に甘味を欲した場合どうするか。事は急を要する。糖尿病患者が低血糖状態に陥った時、急いで角砂糖を口に放り込むように、私だって今すぐ甘味を食べたい時があるのだ。しかし日常的にスイーツを携帯などしていない。となると、私の味方は当然コンビニ。そしてチロルチョコということになる。やったー、あったよー。

チロルのラインナップの中では「杏仁豆腐」をたいへん好んでいるわけだが、現在コンビニ限定で売られている「京きなこ」もあなどれない。ほかのやつに比べて、これはなんと値段が5割も高いのだ!超リッチ!それでも30円ですが。ともかくひとつ食べればそれで気が済む。板チョコ一枚なんて多すぎるのである。ウチに持って帰っても、次にいつ食べたくなるなんてわからない。むしろウチでは酒を呑んでしまうから、あまり食べたいとは思わない。ほんのちょっとでいいのだ。そういう意味でもチロルはサイコーといえる。

そういえば先日なにかの雑誌でチロルチョコの記事が出ていた。経営方針や開発の様子などが載っていた。飽きられないように次々に新製品を発売するから大変らしいが、開発担当は2人しかいないのだという。そしてその担当は次なる新製品として「うなぎのタレ味」を推しているのだが、社長は「こんなもん出せるか」とゴーサインを出さないらしい。もはやどう考えてもチョコレートでもなんでもないのだが、ぜひとも食ってみたいのも確かだ。なんとかしていただきたいものである。

そして今日甘味を食べたくなった時、たまたま近くにコンビニではなくスーパーがあったので入ってみた。甘味棚の前でじっくり検討していると、森永製菓の粒選りショコラ・ネーブルピール&アーモンドなるものを発見した。今このHPを見たら、「本物を見る目のある大人の女性のためのチョコレートです」とか書いてある。これ「女」の部分を「男」に入れ替えたら、対象がなんであれ差別だと騒ぐだろうに。甘味好きのおっさんを舐めてんのか。まあいい。3粒入って100円。一粒当りチロルの京きなこと同じぐらいだ。そりゃ門番が立って入店人数を規制しているような、一粒500円だ1000円だというややこしい店と比べちゃいけないが、ピールがきちんとアクセントになっていて、わるくない。


私は食べればおいしいことは百も承知で、だがスイーツを「作品」として扱うような考え方には少し抵抗を感じる。新宿伊勢丹の、高島屋の地下で、宝飾品のショーケースに入れられたようなスイーツはもちろんとても美しいと思うし、おいしいだろうなとも思う。でも、そういうものがスイーツ界ヒエラルキーの頂点にあり、ピラミッド型に裾野が拡がっている、という考え方はつまらない。私がアキバ近辺をぶらつく時に時々立ち寄る近江屋洋菓子店のHPに、こんな文章がある。

「近江屋洋菓子店とは何か」

メディアを飾るフランスのパティシエの作品を見て陶然としつつ、コンビニの袋菓子を食べている。それはまるで、今日の朱雀大路を牛車で往来する殿上人の絹衣に見とれつつ、ボロを纏う貧しい民のようではないか。洋菓子に関して、なぜこのような時代錯誤的奇形的状況が罷り通っているのか。
同感だ(「今日の」の部分は「京の」の誤変換だけど)。だから私は、ラグジュアリーな作品でもない、しかし大量生産でもない、近江屋洋菓子店の菓子が好きなのだ。

しかし数年前に書かれたこの文章とは違う現実が生まれている。最近のコンビニにおけるスイーツフェアなどは、決して馬鹿にしたものではないのだ。それどころか、日常的に店頭に並んでいるファミマのシュークリームなどは、タイミングによっては出来立てでかなりおいしいのである。こういうことはお客にとってぜんぜん悪い話ではないが、それは同時に、近所に幸運にも近江屋のような店があったとしても、地域住民が意識的に支えなければ立ち行かなくなるということでもある。前述のように、大量生産のチョコレートですらレベルが向上していることを考えればなおさらだ。


意外とおいしかったチョコの話をするだけのはずが、なんだか大袈裟な話になってしまった。しばらく近江屋に行っていないフラストレーションが、こんなことを書かせたのかもしれない。近いうちに行ってきまーす。
posted by kaoruww at 03:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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