読売の朝刊一面に興味深いニュースが載っていたのでメモしておこうと思ったのだ。web上では近い将来消えてしまうものなので、魚拓を中心に記録しておく。今後何かの役に立つとも思わないが、非営利法人の胡散くささが日本の暗い歴史とともに垣間見える事例であろう。
NOVA、取引装い前社長関連財団に1億円(読売新聞)
会社更生法適用を申請した英会話学校最大手の「NOVA」(大阪市)が今年3月までの7年間、猿橋(さはし)望・前社長(10月25日付で解任)が理事長を務める財団法人に対し、教材の取引を装って計約1億円の利益を提供していたことがわかった。戦前に設立された休眠状態の財団をブローカーから買ったということのようだ。
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財団法人は、外務省所管の「異文化コミュニケーション財団」(東京都千代田区)。
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同財団は、犬養毅や秋山真之(さねゆき)、新渡戸稲造らを発起人に1915年、南洋諸島の調査研究を目的に創立された南洋協会が前身。長く活動が停滞していたが、猿橋前社長が知人の紹介で運営に乗り出し、99年に名称を異文化コミュニケーション財団に変更、理事長に就任した。
異文化コミュニケーション財団とは(魚拓)
財団が創立された1915年は、第一次世界大戦の真っ只中でした。日英同盟との関係から、日本海軍が地中海に船団護衛の艦隊派遣を行ったような世界大動乱のさなか、第二次大隈内閣時代に、太平洋圏の平和と文明に貢献することを目的として、南洋協会は生まれました。よくここまでこじつけた、グッジョブと言いたい。
それから幾星霜、第二次世界大戦の終戦からも早数十年の年月が経ち、時代が変わり、南洋協会は「異文化コミュニケーション財団」として生まれ変わりました。
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20世紀初頭、世界が熱く沸騰していた時代日本にとって世界といえば大陸と南洋を意味した時代に「諸国の諸般の事項を講究して相互の事情を疎通し、共同の福利を増進し、以って平和文明に貢献すること」という、異文化コミュニケーションの真髄をうたいあげた南洋協会の理念は「異文化コミュニケーション財団」と名称を変えた現在にも、脈々と流れつづけています。
財団設立の時代背景(魚拓)
南洋協会20年史より(魚拓)
1915年(大正4年)1月30日に発起人創立総会が行われた。発起人たちが列挙されている。読売の記事に出てきた名士以外にも、澁澤栄一や本多静六、まだ海軍次官時代の鈴木貫太郎の名も見える。
創立事務所を便宜上一時台湾総督府出張所内に設置することと為したりとあり、この財団が当時の大日本帝国政府の肝いりだったことがわかる。遅ればせながら帝国主義競争に乗り出した大日本帝国の、南進派の拠点の一つだったのだろう。
大正4年に設立され軍国主義時代に活動した亡霊のような財団が、戦後も仮死状態で生き続けたあげく、結局はエキセントリックな経営者の虚栄心を満たすためのおもちゃになっていた。なんだか戦後日本の姿を映した、安っぽくグロテスクな陰画を見たような気分だ。



