プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さん(42)が27日、自宅のあるカリフォルニア州ロサンゼルス近郊で亡くなっていることがわかった。ロサンゼルス捜査当局によると、伊良部さんは自宅で首をつった状態で見つかっており、死因は自殺と見られている。ロッテ時代からトラブルの多い選手だったが、ヤンキースへの移籍騒動の時に「生き別れになった父親をアメリカに探しに行きたいのでは」とのストーリーを作ろうとした取材陣と決定的に対立、日米の移籍ルールが確立していなかったこともあり野茂の時と同様、マスコミはロッテべったりのスタンスで徹底的に伊良部を叩いた。
伊良部さんは、1987年のドラフト1位指名で尽誠学園高(香川)からロッテに入団。1997年から大リーグのヤンキース、エクスポズ、レンジャーズでプレーし、2003年に阪神に入団。04年を最後にプレーをしていなかった。通算成績は、日本のプロ野球は72勝69敗11セーブ、大リーグは34勝35敗16セーブ。
鳴り物入りで入団したヤンキースでもマスコミとうまくいかず「獲得は失敗だった」と批判されたものの、実際の成績はそう悪いものではない。1年目こそ5勝どまりだったが2年目13勝・3年目11勝と、ヤンキースの2年連続ワールドチャンピオンに十分貢献している。アジア人初のチャンピオンリングを獲得したのが伊良部であることはもっと知られていてもいいだろう。ただし2個のチャンピオンリングを持ちながらもワールドシリーズでの登板機会がなかったあたりは、成功しきれなかった伊良部の人生をどこか象徴しているようでもある。
その後モントリオール・エクスポズ、テキサス・レンジャーズ、阪神と渡り歩き引退。グリーンカードを取得しロサンゼルスで「SUPER UDON」を開業。「伊良部がうどん屋に!?」と一部で話題になる。開店当初はそこそこの人気店だったようだ。07年に大阪のバーで店舗を破壊、マスターに暴行して現行犯逮捕されたが不起訴に。TBSの「波瀾万丈ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった…!」に出演、引退後初めてメディアに顔を出しうどん屋の店内を公開。この時のことをちょっと書いていた。野茂ファンではあるが伊良部ファンというわけではなく、なぜこんなに引退後の伊良部に興味を持っていたのか我ながらよくわからない。結局このSUPER UDONも閉店。この頃のWikipediaには「自らレシピを吟味し厨房にも立ったが、飽きてしまい閉店した」と書かれていた。もうちょっと書きようがあると思うのだが。
09年8月、四国・九州アイランドリーグで現役復帰。しかし翌9月に右手首腱鞘炎で全治3週間の診断を受け、伊良部側の希望により退団。2度目の引退を表明した。そして10年5月に酒気帯び運転によりロサンゼルス郊外で逮捕。これ以降、伊良部をメディアで見る機会はなかった。
あり余る才能を持ちながら最後は首吊り自殺ではやりきれない。センシティブで人づきあいが下手な、日本最速ピッチャーの冥福を祈る。