どういうことかというと、私は美術史家としての若桑みどりの読者なんである。フェミ方面に関しては、美術の本で触れられる部分については多少読んではいるけれど、ジェンダーそのものを扱った著作は読んでいないのだ。もしかして無意識に遠ざけているのだろうか?
ちょっとどんなもんかとアマゾンで「お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門
ならばどういう批判なら批判として成立するか。たとえばこういうの。
浜下昌宏(神戸女学院大学)による書評
若桑みどり『象徴としての女性像―ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象』
「「若桑みどり」という華やいだお名前に胸をときめかさなかったかと言えばウソになるかもしれない」
「その仕事振り・活動振りには注目を怠らず、敬意を持って著作を読ませてもらっている」
などと儀礼的に書いてはいるが、後段の批判はかなり厳しい。
「この種の攻撃的フェミニスト特有の単純化(男は皆狼、男は皆家父長制社会の支配者およびその予備軍、etc.)はよろしくない」
「微妙な差異を捨象してのいっしょくたの論理は学問研究の名に値せず、あまりに政治的・イデオロギー的になることに注意してもらいたい」
あまつさえ「本書で著者が成したことは、美術史研究の内在的な論究に導かれて定立した原理論に基づくというよりも、歴史研究の一部としての美術史である」という部分は美術史家としてのありようそのものを批判しているわけで、よーここまで書くわといったところ。関係ないけど内田樹の同僚なんですね。
フェミニストに対する男からの批判はどうしても「この論法自体が差別だ」という話になりがちなので、ここにも書いてあるとおり「敬して遠ざけておきたい」のが普通であろう。よっぽど腹に据えかねたんでしょうか。
でも私は論壇系blogをやってるわけでもないし、フェミニズムの話はどーでもいいんである。前述の通りフェミ系の著作は、よっ、読んでなんかいないんだからね!(←なぜツンデレに)
学生の頃、科学史の授業を取っていた。退屈な講義の最中に、講師が授業の内容とは全然関係なく「今NHKでやってる美術の番組はすごく面白い、見た方がいい」と話し始めた。そういえば女性の講師だった。今思えば何で突然そういう話になったのかわからない。若桑みどりのファンだったのかもしれない。
なぜか興味を覚えて、「人間大学 絵画を読む」というNHK教育の番組を見た。とても刺激的な番組だった。一枚の絵を、それが書かれた時代の思想や社会体制を踏まえて、考えもしなかった視点から解釈していくのだ。それまでさほど美術に興味があったわけでもなかったが、「イコノロジー(図像解釈学)」という学問があることをこの時に知り、絵というものを自分なりに考えながら見るようになった。
この時のテキストを改訂したのが「絵画を読む イコノロジー入門
その後値段の高い本は学校の図書館で読んでいた(人文学系は高いねえ)が、筑摩書房から「イメージを読む」が出た時は手頃な値段だったので買った。「メレンコリアT」と「テンペスタ(嵐)」は「絵画を読む」とかぶっているが、「システィーナ礼拝堂」と「モナ・リザ」も取り上げている。1冊で4作品だけだから、こちらの方が内容が濃い、というか水準が高い。
さて、ここでうれしいお知らせです。この「イメージを読む」が、ちくま学芸文庫から再版されて手に入りやすくなっております(
しばらく経ってから、放送大学でやっていた講義「イメージの歴史」をちょくちょく見たり。今「松岡正剛の千夜千冊」というサイトを見て、この講義録が無性に欲しくなった。買おうと思ったことはあったのだが、講義とセットで図像を見なければわからないだろうと思ってやめたのだ。録画もしていないし。でもやっぱり欲しいなあ。もう講義は終わっているはずだが、まだ売ってるんだろうか。
というわけで私にとって若桑みどりという人は、フェミニズムの闘士ではなく美術に目を向けさせてくれた人なのだ。ジェンダー方面の意見については詳らかではないが、美術に関しては「事実についての知識は、感受性を深めこそすれ決してそれを抹殺しない」(「絵画を読む」より)という意見に全く賛成なのである。



