夏の日照不足や長雨で高騰した野菜の小売価格が、一転して急落している。農林水産省の調査では主要8品目のすべてが値下がりし、うち5品目は平年をむしろ1〜4割下回る。8月半ば以降は、おおむね好天に恵まれ、生育が良好なためだ。8月いっぱいは冷夏で野菜の価格は高騰していたのだが、その後は急激に値下がりし、今では平年より安いぐらいになっている。リンク先のグラフを拡大するとわかりやすいが、特に葉物野菜であるレタスの価格の値動きが極端に大きい。記事の終わりに農水省のコメントとして「農家が再生産できないほど下落している品目もあり、産地で需給調整の動きが出てくるかもしれない」とあるが、レタスのことだろう。レタスやキャベツをトラクターで潰す農家のことが時おり報道されるが、葉物野菜の生産コントロールというのはとても難しいものらしい。
市場に関わる人なら、これだけボラティリティが大きい商品を見ると「先物でリスクヘッジしたら農家の収入も安定するのではないか」と考えるだろう。もっともなことである。しかし野菜の先物なんて可能なのだろうか?大豆や小豆のような保存性のいい食べ物ではないのに。
昔ならここで話はポシャッてしまったことだろうが、米・CMEが主導した「商品価格の指数化」という潮流に乗り、横浜商品取引所が野菜の先物を開発・上場したのである。それが04年12月20日のこと。実際の商品のやり取りをせず差金決済のみで、葉物野菜を含めた14種類の野菜を指数化して売買する「野菜バスケット先物」の誕生だ。現物受渡しを伴わない野菜先物は世界初である。
横浜商品取引所(横浜市中区)、野菜先物取引がスタート(農業ビジネス)
先物取引には、供給不足や供給過剰によるリスクを回避、もしくは減少させるリスクヘッジ機能がある。また、公正な価格を形成する価格形成機能、需要と供給のバランスを調整する需給調整機能があるほか、資産運用の場としての役割も大きい。この指数の詳しいスペックは日本商品先物振興協会のページに詳しい。
このため、天候によって収穫量に大きな波が生まれる供給サイドと、安定供給を必要としている需要企業との間で、常に大きなリスクにさらされている野菜流通業からの期待が集まりそうだ。
特に台風の最多上陸数を記録した2004年夏の影響を受け、今秋、葉物を中心とした野菜の価格が高騰したこともあり、投機家の注目を集めている。
同取引所では、「リスクの高いギャンブル的な経営から脱却し、野菜先物取引を利用したリスクヘッジのための取引に興味を持ってもらいたい」としている。
■商品特性米や肉と並ぶ巨大な需要、大きな価格変動をヘッジするという強いニーズ。これらがあいまって大きな期待とともに野菜先物取引は始まったのである。
(1)野菜先物取引は、業務用、加工用などに供される主要野菜14品目を選び、その平均価格を取引します。取引は現金決済取引で行い、現物の受渡しはありません。気象条件で作柄が変化するため、価格変動が大きく、野菜を扱う当業者は価格変動リスクをヘッジするため、個人投資家にとっては投機商品として魅力のある商品です。
(2) 生産動向=国内生産規模を産出額でみると約2兆2千億円です。これは、米や畜産と並ぶ産出額です。
気象条件により作柄や作期が変動しやすく、長期保存に適さず、出荷調整が難しいため、供給量や価格が大幅に変動するという特性があります。このため、野菜の輸入も増えているが、現在でも80%を超える高い自給率を保持しています。
しかし生糸・野菜・じゃがいもしか取引銘柄のない零細商取である横浜商品取引所は06年4月1日、東京穀物取引所と合併した。事実上の吸収である。そして野菜先物は 07年6月27日をもって取引休止となり、その後上場廃止となった。2年半の命だった。付け加えると、じゃがいもに関しては合併時に廃止され、115年の歴史を持つ生糸はこの10月1日付けで取引休止となり、今後廃止される。これで横浜商取の銘柄はすべて消えることとなった。ほんの3年前に合併した意味とは一体なんだったのだろうか?
なぜ野菜先物は失敗したのか。使い勝手が悪かったのなんのと、後付けの理由はいろいろ言われている。だが、新規上場銘柄がことごとく失敗している現状では、野菜先物独特の理由があったというより、商品先物取引をめぐる環境自体に理由を求めるほう適切だろう。長年行なってきた強引な営業・回転売買を強制し手数料を稼ぐ・一度金を預かったらお客の金なのに引き出させない、などなど悪評を数え上げたらきりがない。その結果、投資家はもちろん実需のニーズを持つ人々までが商品先物市場を敬遠するようになった。現在は厳しい勧誘規制により業界そのものが消滅しかねない勢いである。
今までこの業界に関わってきた業者は軒並み潰し、取引所は東工取・東穀取に集約、その後証券業界と統合することによって総合取引所構想を実現するつもりなのではないかと私などは疑っている。悲しむ者は直接の利害関係者以外はどこにもいなかろうし、実際それでいいんじゃないかという気もする。すべては身から出た錆であろう。