「みんなの党」ってへんな名前だなあと思っていたのだ。今でも思っている。新しい自治体でも立候補者でも、平仮名にすりゃいいってもんじゃねーんだよと。「平仮名のほうが親しみやすい」と言うけど、もしかして国民を文盲に近いと思ってんじゃないの。いやそういう連中もたくさんいるのかもしれないけど、でも役所関係のネーミングって平仮名が多過ぎないかなー、と思っていた。「みんなの党」ももうちょっとよさげな名称はないもんかと。まさか比例の投票で平仮名を書かされるハメになるとは思わなかった。
でもこの名前、なんとなく既視感があったのだ。政党らしくない政党名で、なんじゃそりゃとツッコみたくなる衝動。確かにこの感覚はむかし味わったことがある。なんだったっけ。
そのモヤモヤを掘り下げることなく選挙が終わってしばらく経ったのだが、いま突然気づいた。フォルツァ・イタリアだ。初めてこの名前を聞いたときは「”がんばれイタリア”って、これが政党名なのかよ、ふざけてんのか」と思った。その感覚と同じだ。
フォルツァ・イタリア(Wikipedia)
第二次世界大戦後、イタリア政界はキリスト教民主主義(DC)・イタリア社会党(PSI)による長期連立政権が運営されていた。しかし1990年代前半に発覚した政界汚職(タンジェントポリ)の摘発により、イタリア政界は大混乱に陥り、国民の政界不信は頂点に達しキリスト教民主党は分裂に追い込まれた。先進国の中でも、イタリアと日本は短期間にコロコロ政権が変わるという悪しき共通点があった。むしろイタリアのほうがひどかったぐらいだ。1991年12月、ソ連消滅により冷戦が終わり、ソ連崩壊過程でヨーロッパ諸国も次々に政権交代が起きたのだが、イタリアも過去の諸々の暗い遺産が明るみに出て政界は大混乱に陥った。そこに躍り出てきたのが民放4局のうち3局を支配するベルルスコーニである。結局それから15年、しょうもないスキャンダルや舌禍を起こしつつ、今に至るもイタリア政界はベルルスコーニ中心に動いている。
そのような状況下、イタリアを代表する実業家であったベルルスコーニは1994年1月、新党「フォルツァ・イタリア」結成を突如発表し次期総選挙への出馬を表明した。
ここまで書いて「フォルツァ・イタリア」と「みんなの党」とでは、マスコミへの影響力、最初の選挙での獲得議席数、トップの女性からのモテ加減など、似たところがまるでないことに気づく。しかしひとつ重要な共通点があるのだ。「冷戦崩壊後にようやく左右のイデオロギー抜きに出てきた政党である」ということ。それまでは「自由主義か、しからずんば社会主義か」というイヤな二者択一しかなかった。つまり日本では、特殊な政治志向を持たない人にとっては事実上自民党一択だったのであり、その監視勢力としての社会党が増えたり減ったりしていただけだった(その実社会党は裏で自民党から金をもらって、台本通りのケンカを国会で繰りひろげていた)。それから新進党だの小泉総理だのあれやこれやがあって、ようやく自民党以外の保守の選択肢ができたと国民が選挙を通じて認めたのが、このたび成立した民主党政権ということになる。
しかしこの政権は、官僚から国民の代表である政治家に権力の主導権を移すということを標榜しながらも、最大の支持基盤が公務員の労働組合である自治労だという矛盾を抱えている。必然的に、政府の役割が大きくなる「大きな政府志向」にならざるをえない。すると左右のイデオロギーが無い場合、「小さな政府志向」の政党がカウンターとして生まれるはずである。みんなの党という、まだギリギリ政党要件を満たしただけに過ぎない小さな政党は、ほかに小さな政府志向の政治勢力が議会にいないため、今後の展開しだいでは二大政党制における民主党のカウンター、つまり大政党になる可能性がある。
思えば冷戦が終わってから、長い長い時間が流れている。実に20年近くだ。右だ左だという視力検査みたいなことが国民を分断する時代が、東アジアの片隅で2009年にようやく終わったということなのだろう。国家財政は苦しく、人口は減る一方というこのろくでもないタイミングでようやく世界史的潮流に追いついたわけだ。しかしこれからまだまだ、おそらく10年ほどは過渡期としての混乱が、私たちを待ち受けているに違いない。
腐らず、諦めず、暮らしやすい場所を作る意思を持ち続けるほかないだろう。