2006年02月02日

はてなっぽいエントリーになってしまいました

金持ち、勝ち組、インテリはテレビなんか見なくなった(日経ビジネスexpress)


この大橋巨泉という人は、ともかく自己中心的で自分が主役にならなければ気が済まない傲慢な男、ということに尽きる。

参議院に立候補した時、私は「こんな目立ちたがりの人間が衆議院よりはるかに存在感の薄い参議院の、しかも常に否決される立場の民主党で1票投じるだけの立場で我慢できるわけがない」と思った。政治の世界では吹けば飛ぶような脇役に過ぎないのだから。
すると巨泉は6年の任期の内5年半も残して辞めてしまった。しかしこれは私の予想をはるかに上回る早さだった。いくら何でも「自分に票を入れてくれ」と選挙運動をし、たくさんの人に頼んでおいて当選したあげくたった6ヶ月で議席を放り出すとはさすがに思わなかったのだ。さらには「民主党の執行部が悪い」などと言い出し、自分が納得して立候補した政党のせいにして胸を張っているのだから、「人間どこまでも恥知らずに生きていけるものなのだなあ」と感心した次第である。
結局有権者達からの期待と票を無駄にしたわけだが、巨泉に期待したりする連中の票が本人の手によってゴミと化しただけのことだから、特に私が憤る筋合いではない気もする。それでも日本国民の立場から軽蔑はしているが。


というわけで大橋巨泉という人間自体は全く評価していないが、しかしこの人はテレビが圧倒的なメディアの王様であった時代の化け物のような存在ではある。
やっている番組の一つ一つが長寿番組でしかも高視聴率だったという過去があるから、いまだに気候のいい季節に日本に遊びに来たついでに良い扱いをされる番組だけ出て稼ぐなんてマネができるわけだ。

だからメディアに関することなら多少聞く価値のあることも話す。それでも日本にいるわけではないから少しずつズレてはいるが。

このインタビューは正鵠を射ているところと見当違いなところ、自慢話をしたいがために論理が破綻しているところと、質がまだらな為に全体的に微妙なものになっているが、気になったところを少し引用してみる。


テレビがつまらなくなった理由を問われ巨泉は「編集技術が進歩したからだ」という持論を述べる。
僕は映画は監督のものだけれど、テレビはホスト(司会者)のものだと思っています。 だから、その辺のあんちゃんディレクターに、はさみを入れてほしくないんだな。僕は自分のテンポ、自分のリズムで司会をしているわけです
要は番組のカラーを決める権力が司会者からディレクターに移動した、それは編集技術が進歩したからだ、という主張だ。

これについては実際に現場で仕事をしている小寺信良氏の「今さら生放送でやられても、その緩慢さに付いていけないのではないか、という気がする」というツッコミだけで足りる。二言目には「アメリカは素晴らしい、それにひきかえ日本は」と言うワンパターンな論法なのだが、日本のテレビを語るときにラリー・キングの話をしたって始まらないだろう。あんなくどい芸風のオッサンなんて毎日見てられまい。それこそ巨泉を帯番組で見るようなものである。憧れてるのかもしれないが。

それ以前にディレクターの編集がダメというならその編集の質を高めるためにはどうしたらいいのかという問題意識があってもよさそうなものだが、「テレビは生、内容は司会者に任せろ」だけである。よっぽど番組の実質的権力を奪われたのが悔しいらしい。


そうだ、このインタビューを取り上げようと思ったのは前エントリーとのからみであった。その部分。
ビル・ゲイツもブッシュ家も、ニュースやスポーツ中継以外、テレビなんか見てませんよ。(日本も)勝ち組とか金持ちとかインテリがテレビを見なくなっただけなんですよ。 負け組、貧乏人、それから程度の低い人が見ているんです。だから、芸能界の裏話を共有した気になって満足しているんです。

我々の頃はみんなが見ていた。だから、30%、40%の視聴率が取れた。でも、今じゃ、僕だってテレビなんか見ないもん。テレビを見ている暇があったらインターネットを見た方が、面白い話がたくさん出てくるよ。テレビは今に「貧困層の王様」になるはずです


そう、このインタビューが数日前にはてなブックマークで一位になっていたのはここの部分について読者が感じるところがあったからだろう。

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「テレビはネットすら使えない層にしか届かないメディアになった。その層とは表題と逆の人々、つまり貧乏・負け組・低能だ」というのが巨泉の主張である。


ここが厄介なのだ。
「視聴行動」と「実際の経済状態」を分けて考えなくては実態がわからないからだ。


「テレビ=受動的=質が低くてもそれなりに満足=低能」
「ネット=能動的=自ら面白い物を探そうとする=インテリ」

というのが「テレビ批判派」の「視聴行動」から見たテレビ批判の前提になっている。


では「実際の経済状態」はどうなっているか。

国内個人の金融資産1400兆円のうち、80%近くを50歳以上が保有しているのが日本という国である。その50歳以上のネット利用率がどれぐらいかはいちいち調べちゃいないが、そう高いものではないだろう。「団塊の世代が退職すればヒマな人達が増えてネット人口も増えるのではないか」と言われているが、今みたいにテレビを見るような感じでネットを爺さん婆さんがやり始めるかといったらかなり疑問だ。

つまり「金をたんまり持っててもネットなんかやらない」という人達が、これから20年30年と日本で大きな存在感を持って生き続けるわけである。

これだけで「ネットをやらない人間は貧乏」という主張は崩れる。


巨泉は「USA Todayみたいな大衆紙もWashington Postみたいな高級紙もリアルタイムで読めて、アメフトもストリーミングで見られる。昔に比べれば夢のようだ」と思っているのだろうが、日本の普通の爺さん婆さんにはそんなニーズはないのである。
世界のどの国も「渡る世間は鬼ばかり」の再放送も、細木数子の「アンタ、5年以内に自殺するよ」という脅しも、みのの「お嬢さん」も流しはしない。巨泉は彼らを「いい年して知的水準が低すぎる」と言うのだろうが、それが日本の資産の大部分を占める人達の好むものなのだ。
オーストラリアとカナダの豪邸で年金の不安など一切ない暮らしをしている人には、このニュアンスは決してわかるまい。


「昔は良かった」話と現実の違いを挙げよう。巨泉は今のテレビ界で生で収録している番組を例に挙げる。「今そういう伝統が残っているのは「徹子の部屋」ぐらいじゃないですか。黒柳さんも僕と同級生だから、あの人もちょんちょん切られるのが嫌なんでしょう」となぜか自慢気に語る。だが、その素晴らしいはずの「徹子の部屋」をあの時間に見ているのは、それこそヒマなおばさんと爺さん婆さんだけだという事実には思いが至らないのだ。


これが「現役でない」ということなのだ、と私は思う。


ネットがテレビと違ってスポンサーすら必要としないメディアだという最低限の理解すら無いのではないか?

低所得層とネットは極めて親和性が高いだなんて想像もできないのだろう。

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なんだかグダグダと書いてしまったけれど、私もこれからのテレビが、そしてネットがどうなるか明確に主張できるほどのビジョンなんかない。

ただ、テレビは2011年を過ぎても無くなりはしないし、テレビとネットの視聴時間ぐらいでは社会的属性などわかりはしないだろう、とは思っている。


posted by kaoruww at 23:56| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
全体を通してみれば、納得させられる文章でした。
ただ一つだけ。
>低所得層とネットは極めて親和性が高いだなんて想像もできないのだろう。
携帯のネットは含まれていないと思いますが、パソコンでインターネットを利用する場合、初期投資であるパソコンすら購入できない人が低所得者層にはいます。それらの人間たちとネットがどうして親和性が高いと言えるのでしょうか。
Posted by yusuke at 2006年02月04日 22:44
>それらの人間たちとネットがどうして親和性が高いと言えるのでしょうか。

「親和性」自体が高いのは事実です。現在三千円程で24時間×30日常時接続ができるネットは、テレビ同様低所得者層にとって他のメディアよりもハードルが低いという意味でです。

ご質問は「デバイスがないためにネットへのアクセス権が侵害されているのではないか」ということかと思いますが、これは現在自治体によって拡充が進められている学校・役所・公民館等の、「ご自由にお使いください」と書かれて解放されているパソコンによってではなく、マンガ喫茶によって実現されています。「お前らそんなことウチでやれよ」というようなことをやってたりします。ケータイしか持ってない人が多いようですね。

ただ、これもケータイの急激な進化によりブラウジング自体がケータイだけで完結しつつあります。ウィルコムのW-ZERO3のようなものが安く手に入るようになるのでしょう。もちろん常時接続で。日本においてはネットへのアクセス権のことがほとんど話題になりませんが、もう2年も経つとその問題自体が無くなりそうです。
Posted by kaoru at 2006年02月05日 00:41
面白いエントリです.「『ネットをやらない人間は貧乏』という主張は崩れる」ところは納得です.

ただ,この問題を考えるにあたって,ネットをできるかできないかに「世代間格差」という要素と「同世代間のデジタルデバイド」という要素の,二つの要素があることを考えなければならないと思います.

さて,私は,「テレビは今に『貧困層の王様』になるはずです」というのはやはり説得力があると思うのです.でも,この貧困層というのは,巨泉氏から見た貧困層であって,実際には「貧困層〜中流」あたりになるのかなと思っています.つまり,一番人数の多い層.

> 低所得層とネットは極めて親和性が高い

確かにそうかもしれません.その一方で,高所得者層とネットも極めて親和性が高いと思っています.

日本のテレビはチャンネル数が極端に少ないので,一番数の多い「中流」向けの放送内容ばかりになってしまうと思うのです(この中流というのが,「いい年して知的水準が低すぎる」中高年なのでしょう).ここから外れてしまった低所得層にも,また逆に高所得者層にも,面白くないものになってしまうのだと思います.ネットは多様性の強いメディアですから,「中流」からはずれる人を対象としたコンテンツも多く揃っているのです.

チャンネル数の多いアメリカなどでは,チャンネルごとに対象とする層が違っていたりするので,また話が変わるのでしょうが.
Posted by ym at 2007年05月29日 15:45
この文章を書いてから1年経って何が変わったというわけでもないのですが、若年世代のネット利用について「パソコンでネットにつなぐ人」と「ケータイでしかネットにつながない人」の違いが強調されるようになった気はします。

>この貧困層というのは,巨泉氏から見た貧困層であって,実際には「貧困層〜中流」あたりになるのかなと思っています

私の解釈もそんな感じで、こういう物言いがこの人の特徴なんでしょう。

高所得者層はネットをそこそこ使うでしょうが、絶対数が少ない分、資産規模のわりにはネットの世界での影響力は限定的かなと。むしろこれから大量に登場するそこそこ金を持った老年層、つまり定年退職後に暇をもてあました団塊の世代がblogを始めたりして妙な存在感を発揮しそうな気はします。
Posted by kaoru at 2007年05月30日 11:00
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