9月25日から10月15日は、1992年から2004年までレギュラー商品だった「チキンタツタ」を出すという。そうそう、日本の惣菜である「竜田揚げ」をハンバーガーにした商品の名前をつける時、当時の社長藤田田(デンと発音してください)は「日本の食べもんなんやから日本を象徴する名前にせなアカン!」と強く主張したのだ。そして考えた名前が「チキンヤマト」。戦艦大和からの発想らしい。だめだろそれは。結局幹部たちの必死の説得によって穏当な名前に落ち着いたというが、たくさんある藤田おもしろエピソードのひとつだ。
油ギトギト、一個604kcalのたまごダブルマックを食べながら、トレーに敷かれた紙を読む。メガネをかけた外国人が、カタカナでカタコトらしさを表現しながら、なにやらおどけた商品説明をしている。Mr.ジェームスという新キャラクター。プレスリリースによると、こういうキャラのようだ。
ジェームス・アーレンそうですか。こんな人だ。
アメリカ、オハイオ州生まれの43歳。男性。 クリーブランドで、妻とジュニアハイスクールの一人娘と家族3人で暮らしている。 特技は手品。趣味は旅行。ご機嫌になると、知らない人にも、おごりまくる癖がある。 おいしいものを食べて、幸せな気分になると「タマランデス」と言うのが口癖。

オフィシャルブログもある。「Mr.ジェームスの食べある記」だそうだ。内容については特に触れるまでもない。ああ、おどけてますね、ぐらいな。
藤田がハンバーガーを日本に持ち込んだのは1971年。この馴染みのない食べ物を普及させるために、藤田は細心の注意を払った。屋号を日本人が発音しやすいように「マクダーナル」にしなかったことは有名だが、それ以上に特に気を使ったことがある。それは「アメリカを意識させるものを使わないこと」だ。絶対に店内に星条旗を飾ったりはしない。広告に白人を使わない(ドナルドの白塗りはピエロだからOK)。この方針は徹底していた。藤田は「日本人の民族意識を刺激せず、昔から日本に存在していたような会社にする」という考えで事業を展開した。
サミットなどの国際会議でグローバリズム批判が起きると、決まってマクドナルドにデモ隊が押しかける。グローバリズム批判というのは大抵アメリカ批判となり、そのアメリカの象徴としてマクドナルドが狙われるわけだ。コカコーラの缶を踏みつぶすぐらいではデモ隊の暴力衝動は消えないらしい。また、アメリカと途上国の間にトラブルが起きると、警備の厳しいアメリカ大使館ではなくマクドナルドが焼き討ちにあう。理不尽な話だ。しかし日本ではそういう話は一向に聞かない。エコだロハスだフェアトレードだと流行りのバズワードにはなんでも食いつく人たちが世界中にいて、彼らはきまってマクドナルドを目の敵にするのに、日本ではそうならない。なぜなら日本においてマクドナルドは「アメリカの象徴」ではないからだ。
青年時代に敗戦を迎え、米軍通訳として彼我の差を痛感し、輸入商として円の弱さに苦しんだ藤田は、アメリカに対するアンビバレントな気持ちを持ったままアメリカ資本と手を組んだ。彼の露悪的な発言と事業の進め方を見ていると、「アメリカを利用して日本を強くするしかない」という、日米安保と歩調を合わせた覚悟が浮かび上がる。しかし藤田が多くの日本人と違ったのは、そこに臥薪嘗胆の決意を隠し持ち続けたことだろう。このままアメリカにやられっぱなしではないぞと。これは敗戦直後のインテリ青年には珍しくない考え方だったのかもしれない。しかし敗戦から60年を超え、もはやアメリカとの主従関係は考えるまでもない前提となり、定着している。
現在日本マクドナルドのトップを務める原田泳幸氏は外資系企業を渡り歩き、本社の意を汲みとることにかけては超一流の人物だ。「名ばかり管理職」で訴えられるわヤラセの行列作りをするわと悪評を振りまきながらも、業績は絶好調である。マクドナルド本社の覚えもめでたい。本国にしてみれば、植民地管理者として理想的なのだろう。苛烈な統治は、本国からの人間より現地人にまかせた方がいいからだ。
03年に藤田は社長を辞め04年4月に亡くなった。ほんの数年前のことだが、なんだかずいぶん昔のことのようだ。広告に白人男性のおどけた姿が出て来るようになっても、違和感を持つ人はさほどいないのだろう。藤田が日本人にかけた魔法(もしくは洗脳)が解け、反米デモ隊がマクドナルドを襲撃するような「普通の国」に、いつか日本もなるのだろうか?