2005年12月14日

大臣発言と床屋政談(blogジャーナリズムw)の違い

昨日の発言だが、あんまり馬鹿馬鹿しいからスルーしておいたのだ。

株誤発注問題で与謝野経済財政・金融担当大臣が「美しい話ではない」と言った、と。マスコミレベルではともかく、ネットでは「自民党一の経済政策通を自称しながら実際はこの程度か」と嘲笑されるんだろうと思ったからとりたてて付け加えることもないと思い書かなかったのだけど。

だがどうやらそうでもないようだ。

blogというのが床屋政談的なものになることを否定はしない。部下に飲み屋で説教しようとしても用があるからと逃げられ、仕方なくウチに帰っても家族からは相手にされない。そういうおじさんが思いのたけを吐き出す場があったっていいと思う。小遣いの少ないお父さんの懐にもネットはやさしい。

テクノラティで検索し、blogのタイトルと冒頭部分を読んでみた。ほぼ読む気になれないものばかりで、2、3に目を通しただけだ。まあ簡単に言えば「金より大事なものがある」「儲かれば何をやってもいいのか」「倫理ってなにかね」みたいなことだ。
新聞の投書欄に採用してあげて下さいと、私も微力ながら応援してやりたいぐらいだ。

2ちゃんねるのニュース速報にもスレッドが立っていた。こっちはさすがに「文学的な批判ですなぁ」とか「美しくないのがイヤなら法で縛れ。 美意識のせいにして法整備をやる気がないのなら、黙ってろ」といった冷めたものあるが、ひとついかにもというのがあったので引用する。


「弱肉強食という考え方は、人間の資本主義の世界にもある。
しかし、今回の話は、痛手を負った獲物を見つけ、野獣が一斉に食らいつくようなもの。
理性を持たない「動物」がするような下品で下劣なやり方。
動物以下の行動で、理性のある人間のすることではない。

実在しない株数が売りに出されているのを見て、それを誤発注と認識しながら、買い漁る。
背信的悪意とも言える状況で、これが公正なやり方と言えるのか。
証券業務に関する高度な専門知識を有するはずの証券会社が、結果的に市場の混乱に加担した。
職業倫理が全くない。ただの金の亡者。

無論、法的には問題はないが、恥を知るべき。」


「そうそう、それを言いたかった」と興奮するおじさんたちがいっぱいいそうだ。


「400億ふっ飛ばしても潰れない株屋のどこが痛手を負った獲物なんだ」といった揚げ足取りはしない。

だが、こういう床屋政談レベルのノリで、日本の金融政策の責任者であるところの経済財政・金融担当大臣が「美しくない」「美学」などという主観的かつ情緒的なことを喋ってはいけない。
以下、与謝野氏のいかにも俗耳に入りやすい外国証券会社批判の何が駄目かを述べる。

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1996年11月、第二次橋本内閣は金融政策において画期的な方針転換をした。所謂「金融ビッグバン」である。金融市場の規制を緩和・撤廃することにより、金融市場の活性化や証券業界の国際化をはかろうというのが目的である。世界に名を轟かせた日本の金融機関はバブル崩壊後ガタガタになり、国内の最も弱い企業が生き残っていけるよう新規参入や商品開発そして経営面までも厳しく規制した護送船団方式に批判が集まった。そのため市場を開放し、外国の強い金融機関も自由に活動できるよう規制緩和を行い、その厳しい市場で鍛えられ生き残ることを国内金融機関に求めた。

この時与謝野氏が「経済政策通」として、そして内閣官房副長官として政府案の作成に大きな影響力を持っていたことはここでは措く。

日本政府が望んだ通り外国の巨大金融機関が日本市場に参入し、多くの国内金融機関が統廃合され、集約された。
これが日本が選んだ現在の金融状況である。


「金融ビッグバン」には3つの原則があった。

フリー(自由)
フェア(公正)
グローバル(国際化)

である。ここで言うフェアとは「開示すべき情報を開示せず不完全な情報を出すことで利益を得ることを認めない」といった意味だ。分かりやすく言うと「グローバルソブリンは毎月分配だからよけいなコストがかかっていて手取りが少なくなりますよ」ということをちゃんと伝えているか、ということだ(たいていの証券会社は失格だろう)。しかしこれにしてもあまり情報を持たない個人投資家に対して金融機関はきちんと情報を開示しなさい、でもその上で損をしても投資家の自己責任ですよ、ということだ。

だったら多くの情報を持ったプロ同士の場合はどうか。

みずほ証券の誤発注に他の証券会社の自己売買部門が注文を出し、取引が成立した。ここで責められるべきは一にも二にもみずほ証券である。次に東証そのあとソフト会社といったところか。他の証券会社に批判の矛先を向けるのは全く筋違いなのである。彼らを批判している人は、彼らもまたクリック一つで会社が倒産するかもしれないリスクの中で日々の仕事をしている事に思いが及ばないのではないだろうか。どうもみずほ証券に対するよりも厳しい批判をしているようだ。

「それは当然だ。みずほは単なるケアレスミスだが、誤発注を知りながら注文を出した方が倫理的に劣る。より強く批判されるべきだ」といったところだろう。全く私もおじさんたちの気持ちがわかりすぎる。わかりやすいことしか言わないのだから誰だってわかるか。

もし、市場に「美学」なるものがあるのなら(こういう表現を立法府の議員が当該の問題について使うべきではない、と私は思う。それは立法に関わる者としての怠慢と解釈するほかないからだ。そう思うならきちんと法により禁じればいいことで、こういった「言葉」によって人をコントロールしようというのは法治国家の政治家がとるべき態度ではない。日本は中国ではないのだから。)、それは「失敗したら痛い目にあう」という緊張感の中で戦うことだろう。それは一回のミスで死に至るかもしれない「痛さ」だ。「ちょっと間違えただけなのにかわいそうだよ」という微温的やさしさも「間違いにつけ込むとは汚い」という御高説も、弾が飛び交わないというだけの紛れもない戦場では優雅な響きさえ感じる当事者でない人々の呑気なおしゃべりに過ぎない。


だが前述の通り、blogに書き、飲み屋でオダをあげ「今俺いいこと言った」と悦に入るのはかまわない。だが、金融担当大臣がそれをやってはいけない。この発言は外国にも流れる。与謝野氏個人がどう思われるかはどうでもよい。日本という国がどう思われるか。
「自分で外国の金融機関に市場を開放しておきながら、してやられると「法的にはいいが倫理的にけしからん」なんて言い出す政治家が日本の金融のトップなのか?」か。
あるいは「立法府の議員なのに自分の主観的な言葉で規制をするのか?」か。
または単に「こんな甘い奴が金融政策のトップならもっと稼げそうだ」か。

いずれにせよ本人の認識とは違い、こんなことを喋っても「日本の政治家は立派だ」なんて言われないし恐れられもしない。良くて呆れられる。悪いと馬鹿にされる。いずれにせよ日本の国益を損ねる。迷惑だ。


「自民党一の経済政策通」がこのマルドメぶり。「日本の有権者向けの発言だからこれでいいんだよ」という意見があるかもしれないが、それが外国にまで伝わることには変わりがない。


「ミスが許されない厳しい環境で成功するビジネスパーソンの登場を望む」などと言う政治家が、いつか日本で責任ある立場に就くことがあるのだろうか。

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そしたらこんなニュースが。

UBSなど6社全額返還へ 株誤発注の計168億円

うへえ。後出しジャンケンでもいいんだ。
「金融当局と返還方法について協議している」だの「批判的な意見が出ており、こうした声に配慮することにしたとみられる」だの。

「明文化されたルールでもあとからなんとでもなる」というのが金融当局の考える「美しい日本」らしい。

本当に日本は法治国家なんだろうか。これに拍手する日本人もたくさんいるわけだから、実際「そういう国」なんだと思うほかない。
posted by kaoruww at 19:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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